<短編−弐−>
□アカルイみらい
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初夏の色濃い香りが漂い始めた今日この頃。柔らかだった陽射しは少しずつ眩しさを含ませて、草木は愈々青く生い茂る。今、俺たちがいるここもまた、甘やかな匂いの中に新緑の濃い匂いが入り交じっていた。「たまには、家族でどこかにいこうか。」という、かごめの提案で来た花畑。青空は天高く、陽の光は猶明るい。
余りの眩しさに覚えず手を翳すと、クスッと小さな笑い声が耳を擽る。
「眩しかった?」
「少しな。」
すると、急に影が出来て青空だった景色が、かごめの柔和な笑顔に様変わりする。妻が自分の身体で、陽射しを遮ってくれたようだった。
「こうしたら、眩しくないでしょ。」
「そうだな、調度いい。」
俺の額髪を掬う柔らかく小さな手に己の手を重ねれば、その上にまたかごめの掌が乗る。俺の手を撫でる手は温かくひどく優しい。生来の荒々しい心が不思議と凪いでくのが、自分でも分かる。そう、穏やかだ。
「穏やかだな。」
思わず、心裡が零れた。
「犬夜叉はずっと頑張ってきたんだもの。これからは、辛いことだけじゃなくて、こんな日もたくさんあるわ。」
俺の言わんとすることが通じたのか、かごめは今この時の雰囲気を言うのではなく、過去現在未来全ての事をひっくるめて言う。彼女は重ねていた俺の掌を自分の腹に宛がうと、ゆっくりと撫でた。
「きっとこの子もそう思ってるわ。あの子たちも。」
「そうか?」
「犬夜叉はそう願っていたんしょう。」
頬に笑みは浮かべていても、黒曜石のような瞳は真剣みを帯びていて絶句してしまった。
かごめは、ここまで分かっていてくれたのか。
なんか、泣きたくなる。
お袋が儚くなった後、一人で生きていた俺はてんで穏やかなんて言葉は知らず、過去を振り返ることはおろか未来を考える余裕さえなかった。穏やかなんて言葉が当てはまる日々は皆無に等しく、今を生きることが精一杯だった。傷付けては傷つけられ、殺しては殺されそうになる。血で血を洗う殺伐とした毎日に、未来など関心がなかった。きっとこれからも、こんな暮らしが死ぬまで続くんだろうな、と他人事のようにしか考えていなくて。
絶望と諦念。
でも、それでも。
かごめがもたらしてくれた心穏やかな時間に触れた俺は、そんな日々が欲しいと思った。願いさえもした。
奈落を追っていたときも、かごめと引き離されてしまったあのときでさえも。それが今、この手の中に確実にある。かごめを妻にむかえて、笑って過ごして。殺伐とした日々を生きていた時に、あり得ないだろうと思って諦めていた子どもだって生まれた。家族というものを知った。今また、かごめの腹の中で命が息吹いている。これで三人目だ。
「確かに・・・・、欲しかったな、こんな日々が。」
「皆、そう願うものよ。だから頑張るの。犬夜叉だっていっぱい頑張ってきたんだから、こんな日はこれからもずっとあるわ。」
昨日も穏やかで、明日もまた明るい未来が。
「・・・・そう、か。」
「そうよ。というか、そうでなくてはダメなんだから。」
かごめの笑顔が眩しくて、目を眇る。陽射しのように明るく眩しい、でも優しいそれ。
「かごめには敵わねぇな。お前は強い。」
「犬夜叉がいるから、ね。」
頬を染める妻に一瞬呆けるが、いとおしさが溢れて身体を起こして、そっと口付ける。
これも穏やかでないと、出来ないことだ。
明日もまた明るい未来を願い、夢見て、生きていく。