<短編−弐−>

□また、明日に
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 幾つも重ねた続けた日々をあっさりと覆されて、砂のようにこぼれ落ちてしまったあの日。
あの日から、『明日』をむかえることが、とてつもなく悲しく、怖く、忌々しかった。それでも、陽が上ると同じに明日は必ず来る。

明日を待つ夜に、明日迎えた夜明けに虚しさが募った。会話の端々に、『明日に』という言葉が上るだけでも胸が苦しくなった。
もう、朝が来たと嬉しそうに笑うあの笑顔を見ることも、声を聞くことも叶わないのに。


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妖怪退治の帰り道。いつものように、弥勒の阿漕な妖怪退治の報酬交渉は滞りなく行き、ぼったくりも甚だしい礼の品々を俺が担ぐ役目を担っていた。次に依頼の入っている仕事について、ある程度の予定を立てる。次回の依頼者は、金は幾らでも払うから何とかしてくれ、と泣きついてきたどこぞの大名主だ。祓い屋や高僧、神官を呼んでも解決せず、状況は泥沼化。果てには、名主本人も何かの気に中ったかのように寝込んだそうだ。


「それで、俺たちにお鉢が回ってきたって訳か。中ったのは差詰、邪気、だろうな。」

「恐らくな・・・・。それで早くしてほしいと度々催促が来ているのだ。お前、明日も行けますか?」

「いいぜ、先伸ばしにしても面倒なだけだろ。」


粗方、話が纏まってきた頃。いつ何時でも、求めて止まない甘やかなあの匂いが鼻先を掠めた。見れば、目視でも確認出来る村の入り口で、彼女が大きく手を振っていた。弥勒がクツクツと笑いながら、看過出来ない意地の悪い笑みを浮かべる。こいつがこういう笑みを浮かべる時は、大概からかわれて、かと思えば適当にあしらわれて終わっていた。


「報酬の品は、日を改めて分けましょうか。千尋の谷よりも深く愛している、那妹(なにも)の君を待たせるとあっては、男が廃りますからね。」

「けっ。余計なお世話だ。」


何が千尋の谷だ、那妹の君だ。わざとこんな言い回しをしてくる弥勒が腹立たしい。
しゃら、と錫杖の音がして、ヤツが村の入り口を錫杖の先で指した。


「ほら、早く行きなさい。あの御方を待たせるな。」

「ああ、分かってるさ。じゃあ、また明日な。」

「ええ、また明日。」


軽く挨拶を交わして彼女の許に駆けていく。笑顔とともに、お帰りなさいという言葉にむかえられながら、小さな手を引いて家へと誘った。


*************


「かごめ、今日はここまでにしとくか。」


眠そうに目を擦るかごめに苦笑しながらそう聞けば、小さく、「うん」と返答が帰ってきた。二人で夕飯を終えて少し休んだ後、俺はかごめに真名とかなを教えていた。かごめがこちらに来てから暫くして、彼女から教えを乞われた。弥勒から意外に思われたが、俺とて半妖だとか一切関係なくして、ガキの頃からおふくろから散々知識、教養を叩き込まれた口だ。多少形は変わっていても、字は読める。
かごめの指に引っ掛かるようにしてある書巻を抜き取って、褥まで彼女を運ぶと、かごめがふにゃあっと笑った。さながら猫の様に華奢な身体をすりよせて来るから、堪らない。あっさりと理性なんてものがぶっ飛びそうになるが、そこはグッと堪える。かごめはまだこちらの生活に慣れていない。だのに、日中は巫女裏行(みならい)をしながら家事をこなし、夜は夜で遅くまで薬草や文字について学ぶ。疲れない筈は無かった。 だから、啄む程度の口付けだけにする。


「ん、いぬやしゃぁ〜〜。もうちょっと〜。」

「なに言ってんだ。あれだけ眠そうにしてたじゃねぇか。」


眠そうしているくせに、まだふにゃふにゃと笑うかごめが白く細い腕を首に巻き付いてくるが、なけなしの理性で惜しくもそれをほどく。むー、とかごめが唇を尖らせた。やれやれと思うが、反面可愛いヤツだと思いつつ、最後に一度だけ唇を重ねた。


「ねぇ、犬夜叉・・・。」

「うん?」

「また明日も、教えて、ね?」

「ああ、また明日にな。」

「んー・・・それと・・・・。」

「まだあるのか?もう眠いんだろ?」


かごめの覚醒状態は、もはやギリギリの状態だ。とろとろと瞼が落ちてきている。言葉だって拙い。


「眠い・・・・けど。でもね、またあし、たも、抱き締めて、口付けして、ね?」


ほら見てみろ。普段は、こんな大胆なことは言わないくせに。大分眠い筈だ。ねだるかごめに苦笑する。かごめはどうしたら眠ってくれるか、この言葉に限るか。


「ああ、また明日な。明日もまたべんきょーを教えてやるし、ずっと離さねぇよ。」

「それだけじゃ、いや、くちづけ、も・・・・。」

「ああ、また明日にな。」

「うん。」

「わかったんなら、もう寝た寝た。」


そう言ってかごめの目を掌で覆えば
、暫くも経たないうちに穏やかな寝息が聞こえ始めた。かごめの寝顔を眺めながら、緩やかに波打った艶やかな彼女の黒髪を撫でてはくしけずりつつ、先程の言葉を自分の中で反芻してみる。あれだけ厭がり、避けていた『また明日』という言葉を、ごく自然に発している自分がいる。あの時は、明日をむかえるどころか聞くことも発することでさえも厭で厭で、虚しくて仕方がなかった。だけど、今は、大きく満たされている。『また明日に』と、約束をかごめとして。弥勒と、また明日会おうと会話して。明日を見ることを、ひどく楽しみにしている自分がいる。全ては、かごめの存在があるからこその幸福を、再度この手にしたから。もうかごめがいない日々には引き返せない。また独りに戻るだけだと、強がることすら俺にはもう出来ない。大切なものを手にして、失う恐怖を知ってしまった。
かごめがにこりと笑って寝言で俺を呼ぶ。俺の夢を見ているのだろうかと、淡く期待してみる。
そろそろ俺も睡魔が襲ってきた。かごめのこめかみに唇を寄せたあと、苦しくない程度に腕の中に抱き締めた。


「おやすみ、かごめ。」


また明日な。

きっとまた明日も、朝日の中で、嬉しそうにお前は笑うのだろう。




Fin

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