けいおん! 放課後の仲間たち
□幕間5
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残響が消える。一瞬前には少し低音がブーミーな音がアンプから漏れていた。サスティーンがゆっくり消えていく時、呼吸と似ている。
ゆっくり息を吐き出すような感覚。
私は演奏を終え、夏音の言葉を待った。夏音は腕を組んだ姿勢で目を閉じている。やっと開かれた口からは思わぬ一言が飛び出た。
「チューニングがズレてる」
「え?」
よりによってそこ? と思わなくはないけど、まず言われた言葉に反応してみよう。おかしい。
これを弾く前に合わせたばかりなのでチューニングがズレたとは思えない。弾いていても気にならなかったし。
「ちょっと貸して」
私が目を丸くして愛器を見詰めていると、夏音がベースを寄越せと身を乗り出した。素直に渡すと、彼は色んな場所でハーモニクスを鳴らしてペグをいじりだした。ネックを横から見たり縦から見たり。
「んー、うん。若干だけどネックが反ってるね。ここのところ湿気がすごかったからね」
「反ってるの!?」
それは大変だ。いや、一大事だ。
夏音の言葉にどうしようもなく焦ってしまう。それより、何て不甲斐ないんだと落ち込んだ。ネックが曲がっている事に気が付かなかったなんて!
「言っても少しだよ。ほら、オクターブが狂ってるでしょ?」
ほら、って聴いてもわからないけど。
「どうしよう」
「どうしようといっても、どうしようもないよ。テンション緩めたまましばらく放っておこう。たったこれだけでロッドをまわしたくないし」
その言葉にほっとする。何だ、大事にとってしまったと胸を撫で下ろした。実はネックというものは案外簡単に反ってしまうものだ。季節によって湿度の影響を受けてしまう。
乾いたり、潤ったり。日本、忙しないから。とにかく楽器は生き物。 すごく繊細で、持ち主の管理がかなり重要だ。
愛しの楽器が悲鳴をあげているのにも気が付かないような人間にはなりたくないものだ。
意図せずネックが反ってしまえば、チューニングが揃わなかったりしてしまう。さらに言えば、弦がフレットに当たりすぎてしまったりすると演奏していられない。
弦をビビらせる事も手だけど、そこは程度の問題。夏音が言ったように、ちょっと反ったくらいだとテンションの駆け具合で修正できてしまう。
それにしても、夏音の耳はどんな造りをしているのだろう。私は音のズレがわからなかった。
少しの音のずれが気になる、というより気にすることができる耳というのはうらやましい。
「澪はもともとロウを出し過ぎて何の音かはっきりしない時があるからな。力入りすぎて音上がってる時あるし」
音感はしっかりつけた方がいいでしょう、と夏音は語る。しかしながら、コルグの安物のチューナーでは計測できないくらいのズレであったことは私の名誉のために言っておきたい。それでも他人に指摘されるのはやっぱりいたたまれなくなる。
夏音の自宅で行うベースのレッスンは毎週の恒例行事になっている。
頭を下げて夏音に見て貰う事になって、しばらくは私の方が萎縮してしまって身が入らなかったりした。二つのベースが向き合っていると、普段の彼の面影がすっとどこかに行ってしまう感じがしたのだ。
同級生、部活仲間、という枠組みから外れたプロのベーシストとしての夏音を前に圧倒してしまった。
それでも何回か続けていると人間、慣れるもの。
すっかりこの環境に順応してしまった今ではこのプロ御用達スタジオ、みたいな自宅スタジオに居ても余裕しゃくしゃくでいられる。幸い、夏音以外の家族に遭遇する事もないし。
ただ、多少の不満は何点かある。夏音という男はとかく自室か地下のスタジオにこもって大きな音に埋もれていることが多い。
だからチャイムの音が届かないで三十分も玄関で待たされた事もしばしば。金持ちの豪邸の玄関先でじっと動かない少女を近所の主婦が怪しげに睨んできた事もあって、大変居心地が悪い気分を味わったりしたから。
その辺についてつぶさに文句を言うこともできない。
所詮、時間を削ってもらっている身だから。
どうせ不平を漏らしても「あーごめんごめん」って簡単に謝るだけだし。それでも、それはそれで憎たらしい気持ちが湧かないっていうのはズルイ。
それが立花夏音という人間で、幸か不幸か私はこの短期間ですっかり立花夏音という人間に慣れてしまった。
もちろん慣れないことも確かにあるけど。主にカノン・マクレーンというアーティストについて。