けいおん! 放課後の仲間たち
□第四話
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「あの……他のみんなはどこに?」
夏音が任された地区は軽音部の仲間達とは別で、彼女達とは二つほど区画を挟んだ道路であった。
「ごめんねー。お友達と一緒の所にしてあげたかったんだけど、人数の都合で仕方ないんだよ」
と派遣員の片平さんが申し訳なさそうに言う。
人が善さそうだが、気弱な性格が物腰に表れている。
年配の者が自分に頭を下げてくるのもバツが悪くなった。
「そうなんですか。わがままを言ってすいません」
軽く頭を下げると、夏音は支給されていた帽子を深くかぶった。
自分はここに仕事に来ているのであって遊びではないのであった。
気を引き締めていかないとならない、という覚悟の表れである。
「(しかし、なかなかどうして寂しいものだね)」
根本的に寂しがり屋の夏音だったが時間が経つにつれ、仕事にも慣れた。
というよりも孤独に慣れたと言ったほうが正しい。
作業は本当に車を数えているだけで、もう一生分の車を見ているのではないかと思われた。
むしろ睡魔をやっつける方がよほど難儀したくらいである。
この仕事は一区域につき派遣員を含めて三人体制でまわっている。
実際に調査するのは二人なので、交替で一人が休憩といったローテーションシステムである。
ところが、休憩といっても軽音部のメンバーとかぶる時は少ない。
用意されたワゴンの中に見知った顔を見つけた瞬間の夏音は尻尾をぶんぶんと振っていたように見えたという。
夏音は隣に座る相方の方に目を向けた。
自分とペアを組んでいるのは都内にある某大学院で数学を研究しているという寡黙な青年だった。
ぼさぼさの長髪にメガネ。洗いざらしのブルージーンズにシャツ、という地味な格好。一昔前の日本のフォークシンガーさながらという出で立ちである。彼とは初めの挨拶以来、口をきいた記憶がない。
向こうは自分から話す気がないようだ。
よく見ると体調が優れないようにも見える。
この青年、風が吹けば倒れそうというか、夏音が一発はたいただけでKOできそうなくらいゲッソリしているのだ。
そう思って見ると、だんだん顔色が青ざめているような気もする。
この人ヤバいんじゃと不安にかられた夏音はたまらず口を開いた。
あまりに暇だったのもある。それをすぐに後悔するとも知らずに。
「暑いですね」
「そうだね」
「あれも車に含めていいんですか」
「あれはヤクルトのおばちゃんだから……どうだろう」
青年は軽自動車を軽々と追い越していったスクーターを眺めて、首を傾げる。
「ヤクルト………好きですか?」
「毎日のおやつがジョアさ」
「僕も好きですよ、ジョア」
夏音は奇妙な高揚感を得ていた。意外にも、会話がつながっている。
夏音が無意識に手元のカウンターをすごい勢いで回していると、今度は青年の方から話しかけてきた。
「君はどうしてこのバイトに?」
「お金を稼ぐためです。そう言うあなたは?」
「数字が好きなんだ……ひたすら数を数えていられる最高のバイトだから」
ああ、変態なんだなと思った。
夏音はそれらしく「なるほど」と頷いて曖昧に濁した。
「君、どこの子?」
「桜高です」
「あぁ。あの女子校か……女子校って憧れだったなあ」
「いや、今年から共学になったんですよ? そういう僕は桜高共学化初年度の男子生徒なんです」
夏音がそう言った途端、青年は一分くらい押し黙る。
心配になって青年の顔をのぞき込むと、半分くらい前髪に覆われた顔は限界まで驚愕に固まっていた。
まるでサンタクロースの衣装をクローゼットから発見した少年みたいな表情だった。意外に表情豊かだ。
フリーズから解けた彼はくいっとメガネを押し上げて、怖々と口を開いた。
「そいつは君……実に驚愕の事実だよ。君のこと僕っ娘だとばかり……」
「………僕っ娘は女の子限定の属性ですよ?」
性別を誤解されることなど、今さらである。
しかし、夏音は彼と口をきくのをやめた。
「ところで、君のことどこかで見た気がするんだけどなあ」
「気のせいです」
その後、やたらと饒舌になった青年が数学的セックスについて語り出した時も、うんざりと道路の車に意識を集中させていた。
時間はじっとりと過ぎていく。
太陽も昇りきったところで、休憩の時間になった。
向こうの配慮により、お昼の時間を合わせてもらったので、夏音は急いで他の皆の場所へ向かった。
一刻も早くムギのお茶が飲みたかったのである。
夏音が厳かに瞳をとじて、茶の一滴までも渋い顔で味わうのを不思議な顔つきで見守る軽音部一同の姿があった。
それから休憩時間が終わると共に、哀愁を漂わせて帰る夏音の背中をそろって見送った。
残りの時間、夏音はずっと憮然とした表情で過ごした。隣の青年の変態性が自分に感染らないかと不安になった。