短い夢

□お天道さまは愛せない
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戦闘船には窓が極端に少ない。それは船自体の強度を重視するためでもあったし、船員に光を嫌うものばかりが集まっている為でもあった。光に溢れた星地球が母星のSARAにとってそれはなかなか耐えられないことだったが、見かねた阿伏兎によって与えられた小さな窓付きの小さな部屋で暮らすうち、少しずつ慣れてしまった。

SARAがひょんなことから阿伏兎に拾われたのはもう随分昔のことで、第七師団の船に乗ったのも今は昔の話だった。

「ふぅ。」

着替えを済ませ、地球であれこれ買い求めたものを整理する暇もなく、SARAは慌しく廊下へ出た。団長のご機嫌伺いを阿伏兎に言いつけられていたのだ。阿伏兎が自分でしないのには色々な理由があるだろうが、一番の理由は地球で思いのほか深手を負ってしまったことだろう。阿伏兎は絶対に口を割らなかったが、SARAは誰にやられたのか大方の見当をつけていた。

「団長、SARAです。阿伏兎さんに言われてご機嫌うかがいに来ました。」

団長室の前で小さな声で言うと、中から機嫌の良い声で「どうぞ」と返ってきた。ただ、神威の機嫌は秒単位で変化するし誰にも予測できないので、そもそも当てに出来たものではないことをSARAは大分昔に学んでいた。

部屋へ入ると、普段はきっちりと光が入り込まないように閉じられている窓の前に腰掛けている第七師団団長がこちらを見ていた。いつものように喰えない笑みを浮かべ、知らない人が見れば人の良さそうな優しげな顔をしている。一度でもこの人が人を殺めるところを見てしまえば、それはぞっとするものにしかすぎなかったが、SARAは悲しいことにもうすっかり慣れてしまっていた。慣れてしまったというよりは、最初からそれほど恐ろしいと思わなかったのだ。人様の神経とSARAの神経は、通っている場所が少しズレているらしい。もっとも、それが阿伏兎に気に入られた大きな要因のひとつでもあったのだが。

「やぁSARA。君の星って意外と素敵なところだね。色々楽しいことがあって…SARAもあんな面白いもの見逃す手はなかったのに、どこ行ってたの?」

いつになく饒舌な様子の神威に、SARAは心中ため息を吐きたい思いで一杯になった。誰だか知らないが、同朋が酷くこの人を滾らせてしまったらしい。まったく面倒なことだ、とSARAは素直な感想を隠そうともせず、やっぱり堪える事をしないで大きなため息を漏らした。

「奔放な団長と違うの。私は私で仕事があったんだよ。それに団長、わたし阿伏兎さんと話してきたよ。そうそう愉快なことばっかりでもなかったみたいだけど?」

SARAが言うと、神威は機嫌の良いままにSARAに椅子を勧め、自分もひらりとソファの上に胡坐をかいた。

「あの腕をやったのは俺じゃないよ。鳳仙のじいさんだ。」

悪びれず言う神威は、それでも見捨てずに拾って返ってきたところを評価して欲しいような顔つきさえした。

「同じようなものでしょ。阿伏兎さんはこれから団長がしでかしたことの後始末で大忙しだっていうのに…少しは後先考えて行動出来るようになってよ。ぁぁお気の毒な阿伏兎さん。死んじゃった鳳仙のじいさんも。」

SARAは愛情こめてそう言うのを神威はにこにこしたまま黙って聞いていたが、ふと何か思いついたように顔を上げた。


「ねぇSARA、俺の子産んでみない?」


「海坊主に殺されてしまえ。」

間髪入れずに入れた暴言も、神威にはかすりもしないようだった。神威は思案顔でSARAを見て、それから同じことをもう一度繰り返した。

「俺の子産んでよ。」

露骨に嫌そうな顔をして、SARAは自分の手のひらを自分のおでこに当てた。まるで頭に上った血を冷まそうとするかのような仕草に、神威は笑みをひっこめて、ちょっと肩を竦めておどけて見せた。

「地球で何があったか知らないけど、女が欲しいなら次の星に降りるまで我慢して。本当に子供が欲しいならご同朋の女の人を捜しなよ。地球人は脆くて弱いんだから、団長の望む強い子なんて産めやしないの知ってるでしょ。」

辛辣に言葉を浴びせても、神威はほとんど聞いていない様子だった。ぼんやりと宙に視線を漂わせて物思いに耽ったかと思うと、まるで焦がれる想い人でも見詰めるような目つきで窓を見遣った。

「君の星へ行って侍という生き物に会って、ちょっと考えが変わったんだ。俺もそう思ってたんだけど…地球人の強さは、夜兎とは全然違う種類の強さなんだよ。」

SARAが阿伏兎から聞いた話は概略に過ぎなかったのだろう。彼は団長の妹にも会ったらしいが、妹同様に兄である神威をも惹き付ける地球人の何かが、生粋の地球人であるはずのSARAにはさっぱり見当すらつかなかった。

「SARAは侍って知ってる?」

SARAは神威の唐突な質問に曖昧に頷いて、それから首を傾げた。

「さぁ…ろくに本も読まない馬鹿のわりに偉そうに腰に刀をぶら下げてる連中のことなら知ってるけど、団長が言ってるのと同じ意味かは分からないな。団長、鳳仙の次はお侍が気になるの?」

SARAが言うと、神威は黙ったまま今度はSARAの小さな手元に視線を移した。およそ神威らしからぬ態度をSARAは不思議に思ったが、あえて何も聞かないことにした。

「お侍って言っても色々だと思うけどねぇ。」

もっともらしいことを付け加えるSARAを、神威はにっこり笑って見た。神威の笑顔にほとんど意味はない。それが殺意を向けられた人でなければ。SARAは幸いにも神威が相手にするには弱すぎたので、今まで殺意を向けられたことは無かった。阿伏兎に言わせると、それもひとつの才能なのだそうだけど、SARA自身は実は良く分かっていなかった。

「うん、まぁそうなんだろうけど、俺が見たのは本当に面白いやつだった。殺り合い損ねたぐらい。ああいうのもまた地球人なら、SARAが俺の子を産めばきっと面白いことになると思ったんだ。」

「そんな言葉で「じゃあ産んでも良いわ」って言う女がいると思う?銀河中探したっていやしないね。鳳仙のじいさんに殺されちゃえば良かったのに。」



SARAが備え付けの台所へ神威のお茶とおやつを用意する為に行ってしまうと、神威はしばらくSARAが出て行った扉をぼんやりと眺めていた。

彼女に会ったのは、自分が阿伏兎に見出されて少し経った頃だと思う。特に興味もなかったから、大分曖昧な記憶しかないのだ。初めてちゃんと意識したのは、彼女にいきなり三つ編みを引っ張られたとある日の夕食時。阿伏兎を含め、その場にいた全員が息を呑み死体を見ることを覚悟したと思う、あの時。SARAはたった一言、「作った人に感謝して食べてよ!」と怒鳴って去っていった。神威が殺そうともしなかったことを見た阿伏兎は、それ以来SARAに神威のちょっとした世話を任せることが多くなった。

神威がSARAを殺さなかった理由は、作るご飯が美味しいこと、それだけだった。地球の食事は大喰らいの夜兎の口にも大変良く合うのだ。強い肉体を作るには、良い食事を摂らなければならない。そう考えれば作った人に感謝すべきなのかも知れないと神威は素直に考えたが、当の本人はいっぺん言ったことですっかりストレスが解消されたのか、あれ以来そのことでどうこう言ってくることはなかった。

「そうだ団長、今日の晩御飯は何が良い?」

手を綺麗に拭きながら戻って来たSARAは、「地球で食材をたくさん買ったから、しばらく大盤振る舞いだよ」と付け足しながらちょっと笑った。神威が海賊王を目指すなら、阿伏兎はなんにしろ、SARAは確実にサンジだろう。

「何でも。」

いつもと同じように返事をすると、SARAはいつもと同じように完璧に不機嫌な表情になった。

「それが一番困るの。一番食べる人が考えてくれなきゃ。」

「SARAの作るものは何でも美味しいからメニュは気にならないんだ。」

「つくづく作りがい無いね、団長って。」

お茶とふかしたお芋やらを次々とテーブルの上に並べながらまたわざとらしいため息を吐くSARAを見て、神威は不思議な気持ちになった。鳳仙のことは理解出来ない。でも彼もまた同朋であることには間違いないのだ。彼があんな風になったということは、自分にもそんな危険があるということだろうか、と。もちろん鳳仙は年を取り心が弱ったのだと思う。もともと弱かったのかもしれない。けれど地球人には、太陽と呼ばれたあの太夫だけでなく数多の遊女や侍や、太陽には到底例えられない雲だらけの空ような目の前の彼女にさえ、夜兎をも陥落させる何かを持っているのかもしれない。自分にはうかがい知れない、そう、ある意味では強さと呼ぶべきものを。

「ねぇSARA、」

「なぁに団長。さっきの話の続きなら、ノーとしか言わないからね。」

先手を打たれて、神威は一瞬黙った。でも気を取り直してまた口を開いた。

「鳳仙は太陽を愛して、乾いてたんだよ。曇天を愛せば良かったのに。」

「は?」

SARAが意味が分からずに顔を上げると、神威はちょいちょいとSARAを手招いていた。SARAが怪訝な顔で恐る恐る近づくと、神威は突然SARAの腕を引っ張って、それからゆるゆると抱きしめた。

「団長!」

不躾な振る舞いに怒った声を上げるSARAをよそに、神威はふと、心のどこかが安心するのを感じた。

自分はあの老人とは違うのだ。爪だって短く切ってるし、こうしてSARAに触れ、腕に抱いたところで殺してしまわずにおける。鳳仙とは違うのだ。だから自分は鳳仙のように一人の女を愛したりしない。焦がれたりしない。狂ったりしない。

バシッと良い音を立てて頭を叩かれて、神威はようやくSARAを離した。

神威の不埒な行いにSARAは心底頭に来たようで、憤然と暴言を吐いた。
ひとしきり罵詈雑言を浴びせたあとで、それでも呆けている神威を見て、今度はふと不安になり、いつかの日のように三つ編みを引っ張って頭をぶんぶん振ってみた。

「鳳仙のじいさんに何かされたの?団長ってば、ついに頭がイカれちゃったみたい。」

「爪が刺さるって言われたんだ。でも大丈夫、俺はちゃんと切ってるし。あのじいさんとは違うよ。」

「やだ、とうとうイカれちゃった…!」と失礼極まりない顔で呟いているSARAを青い目でじっと見詰めながら、SARAにはずっと意味が分からないままで良いと神威は考えた。自分自身の修羅を誰かに、SARAに押し付ける気はない。愚かな鳳仙のように。それでも神威は、鳳仙に言われたことを少しは気にしていたのだと素直に認めざるをえなかった。死の間際、元とは言え師匠はやはり師匠らしく、最後の課題を己に残して死んでいったのだ。



【お天道さまは愛さない】

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