小説

□空虚なサイボーグ
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 ――空虚な紅い目は何も映っていないように思えた。
 新曲の収録が終了し、一息入れるランカに温かな紅茶が差し出される。
「ランカちゃん、二時間後に雑誌の取材が入ってるんだけど……疲れたでしょ? 取材が始まるまで休憩してきていいわよ」
 グレイスは唇に人差し指を当てながらウインクした。
 予期せぬ言葉に、ランカの髪が喜びにフワッと浮く。彼女は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、グレイスさん!」
「いいのよ。ゆっくり羽を伸ばしてちょうだい」

 あれよあれよという間に売れっ子となったランカは、日々忙しく過ごしており、ろくに休日も取れないでいた。そんな彼女にとって、唯一、仕事の合間だけが大切な息抜きの時間となる。
 大きなサングラスと帽子をかぶって町中を歩く。人々は忙しげに行き交っていた。誰も自分に目を向けない。足取り軽く、ランカは後ろ手を組んで空を仰ぎ見る。偽りの空はどこまでも人工的な蒼色をしており、頬をくすぐる風が心地よい。
「…………」
 そっと、ランカは自分の一歩うしろを歩くブレラを見やった。彼は無表情のまま、どこまでも着いてくる。
 よし、と小さく気合いを入れて、ランカはブレラを振り返った。
「あの、ちょっとだけ一人になっても――」
「駄目だ」
「……ですよね」
 ハァ、と思わず溜め息が零れる。
 贅沢な悩みであることはわかっているが、出来るならば一人で過ごす時間も欲しい。
 それに、ブレラは寡黙だ。緊張しながら喋りかけたところで「ああ」「そうか」くらいしか返事が返ってこない。
 そんな彼のことを、ランカは少しだけ苦手に思っていた。
(グリフィスパークで、あの歌をハーモニカで奏でてくれた時は……とても近く感じたのに)
 温かくて懐かしい。切なくなるような気持ち。
 彼が奏でるハーモニカにはそんな優しい想いを感じた。
 だが、ボディーガードとして傍にいるようになってからというもの、とんと温かさを感じなくなった。まるで、最初の出会いがニセモノだったかのようだ。
「おい――――」
「はいっ」
 急に呼びかけられ、慌てて振り向く。しかし、近くにブレラがいる気配はない。雑踏の中、ランカは一人佇んだ。
 サッと血の気が引いていく。
 気付かぬうちに、ブレラとはぐれてしまったのだ。
「きゃっ」
 誰かの肩がランカにぶつかり、その反動で尻餅をついてしまった。
「あ、いったぁ……」
 しこたま打った腰を摩りながら呟いたランカに周囲の目が集まる。
 まずい、と思った時には人々が騒ぎ立て出してしまった。
「あー! ランカ・リーだ!」
「え、ウソ。本物?」
「ランカちゅわぁあああんッ」
「サインちょうだい、サイン」
 あっという間に取り囲まれてしまう。
「あ、あの……」
 誰もランカの困惑など気にしていない。きっと、やめて下さいと言ったところで聞き入れてもらえないだろう。
 今までは、常にブレラがボディガードとして守ってくれていたから群衆の恐さなど知らなかった。
 銀河の妖精、シェリル・ノームのように上手く逃げることも、対応することもできない。
 己の不甲斐なさに涙が出そうになって、俯いてしまう。
「ランカちゃん」
「ランカちゃん」
「ランカさん」
「あれ、ランカちゃんどうしたの?」
 たくさんの声が聞こえてくる。
 集団の中から、二本の腕がランカを包んだ。腕は彼女をフワッと抱き上げる。
 群衆の誰かが自分を抱き上げたのだと思い、ランカは固く目を閉じた。
「………………ランカ」
 聞き覚えのある声に薄目を開けたランカは、視界一面に飛び込んできたブレラに、思わず口許を両手で押さえた。
「ブレラさんっ」
 さっきまで不安と恐怖に押し潰されて泣きそうになっていたのに。
 いきなり現れたブレラから、お姫様だっこされている自分の状態に驚いて滲んだ涙が引っ込んだ。そのかわり、羞恥に顔が赤く染まる。
「な、な、なっ」
 上手く言葉が紡げない。
 ブレラは動揺する人垣を、飄々と掻き分ける。
 人通りの少ない路地裏まで辿り着いたところで、ようやくランカはちゃんと抗議の声を上げることが出来た。
「い、いきなりお姫様だっこなんてしないで下さい!」
「急に姿を消したから、逃げないよう捕獲したまでだ」
 ブレラはあくまで機械的な口調で答えた。
 ランカは頬を膨らませる。
(私だけ感情を高ぶらせて馬鹿みたい)
 ほてった頬を押さえ、恨めしげにブレラを睨んだ。
 その視線に気づいたブレラは片眉を上げる。
「どうした。熱でもあるのか?」
 彼の赤い瞳孔が縮まる。
 ランカをスキャンしたのだ。何だか心の中まで見透かされた気がしたランカは激しく暴れた。
「おろして!」
 いきなり暴れ出したランカにブレラは戸惑いつつも、抱き上げた腕の強さを弱めようとしない。
(ああ、どうしよう……心拍数までスキャンされてたら、私……)
 ランカは顔を赤く染めたり青く染めたりを繰り返す。
 それを観察していたブレラはふっと微笑を漏らした。
「変な奴」
「……………………ひどいです。ブレラさん」
 ランカはふくれっ面になり、ブレラの胸板を叩いた。




(空虚なはずのサイボーグが見せた、柔らかな表情に一瞬魅入ってしまったのは、内緒)




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