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□どろぼう
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向いの通路、幸村様の部屋の前。
貴方がいた。
瞬間、私の視線は貴方に釘付け。
貴方を見つめるだけで胸が泣きだす。
暖かい灯りのような橙の髪、忍らしくない柔らかな笑顔、優しい眼差し。
全てが私の胸を切なく締め付けた。
「なーに見つめてるのさ、名無しちゃん?」
不意に貴方が振り返り叫んだ。
庭を挟んでいるがそんな声を出さなくても聞こえるのに。
「別に見つめてないです。」
「俺様にそんな嘘通用しません。」
貴方が気付いてくれた、声をかけてくれた、それだけで嬉しくてたまらなくなる。
「ほーら、正直に言っちゃいな?」
「……私が貴方を、」
この溢れてしまいそうな胸の内を伝えてしまおうかしら、そう思ったのに、
「佐助ぇぇぇぇ〜〜っ!!」
幸村様が大きな声で貴方を呼んだ。
途端に貴方の意識は私から幸村様へと移された。
「そんな声出さなくても聞こえてるよ、旦那っ!じゃあまたね、名無しちゃん。」
ぱたん、貴方は襖の奥に消えた。
高鳴った胸の鼓動はまだ収まらない。
貴方は忍びなんかじゃなくてどろぼうだ。
初めて逢ったあの日から、私の視線も気持ちも貴方に奪われたまま。
end