sideB
□少し暑い
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少し暑い。
だから、腕時計が見えたのだ。
柔らかそうな金色の手首に巻き付いた、赤いバンド。
その赤いバンドに、エーデルワイスの純白の刺繍がよく映えていた。
眩しかった。
夏の気配を含んだ日差しではなく、彼女のあらわな手首が。
視線を戻し、信号に向き直った。
いつまでも見つめているのは不自然だ。
目を細めた。
確かに少し暑い。
のんびり歩いてきた私は、薄手のジャケットを一枚羽織っているのだが、そういえば首の付け根が汗ばんでいる。
自転車で全速力で走ってきた彼女なら、尚更だろう。
少し暑いのだ。
だから袖をまくっている。
ああ、なんだか。
私は鼻を擦った。
手首一つでのぼせているとは、私は随分と安い。
普段、彼女の腕時計を目にすることはない。
制服とセーターという二重のガードに、しっかりと守られているから。
夏服になると、腕時計はしていない。
日焼けの跡が残るのが嫌なのだと、友人同士のお喋りの中で言っていた。
私は一つ、咳払いをした。
まだ春だと思ってを油断した。
散り始めた桜には似付かわしくない気温だ。
風はあるが、あまりにも弱い。
信号が変わる。
「先生、お先に!」
彼女は私を真っすぐに見てそう言うと、行ってしまった。
少し、暑い。
私は袖をまくった。
〈END〉