【短編】

□Warmth
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Warmth


「円堂先生ってかっこいいよね?」

「でもプロ辞めて、離婚までしちゃったんでしょ?きっと何か問題あるタイプなんだよ」

「えー?でもすっごい運動できるしこの間D組の子なんて社会教えてもらったらしいよ?」

「え?体育教師じゃないの?」

「うん。社会も数学もだって…ね?興味湧くでしょ?」

「そうだね!サッカー部のマネージャーにでもなっちゃおうか」



女子生徒たちのキャラキャラとした黄色い声が所々からあがっている。この学校に円堂が来て間違いなくこの学園には明るい話題が増えたのだ。新しいサッカー連盟の会長に当たる人はすばらしい采配をしてくれたものだと再び心に思わずにはいられなかった。少なからず帝国学園は実質トップを張っていた影山総帥が逮捕されるという前代未聞の自体に浮き足だっていて学園内の不穏な空気が高まっていた。そうでなくとも財閥や権力者の子供を多く預かるこの学園は学業のレベルもさることながら教員のレベルもずば抜けている。そんな中で全国的知名度の高い円堂守を入れたことは得策だった。下手をしたらかなりの生徒を失ってしまったかもしれない事態だったのだ。

そんなことをつらつら考えながら自分は学校の長い廊下を歩いている。リノリウムが張られたそこはかつかつと反発する音を立てながら辺りに反響させる。この廊下の先には部屋は一つしかなく高等部以上も担当する特別な教師にあてがわれる部屋の中でもっとも広い作りをしている部屋で…当時影山総帥が趣味で使っているような部屋であった。当時は自分にとってあまり良い思い出がないその部屋に行くことが嫌でこの廊下を気落ちして歩いたものだったが……今は違った。


「お、鬼道か?」


声が後方斜め上から降ってきてはっとし振り返るとそこにはいつもの笑顔を浮かべた端正な顔が広がっていて驚きと共に息を飲む。


「あ、驚かせたか?悪いな。実はさっきまで体育の授業をしてたんだ。鬼道が部屋に着く前でよかったよ。」


人の良さそうな笑顔は見るだけで気持ちを明るくしてくれる。重厚な作りをした館内は普段太陽の光も入らず陰欝とした印象を受けがちだ。でもこの人と一緒にいる場所だけはまるで近くに太陽があるような錯覚を感じるくらい明るいのだ。軽くなるような気持ちと共に何となく浮き足立つような感覚が胸のなかに沸き起こる。この気持ちが意味することに気付きながらも知らぬふりをして隣を歩く。自分より頭二つ分は確実に高いその相手をちらりと盗み見すると頭のなかにこの間の約束が思い出された。



「昨日は悪かったな?親御さんに心配をかけただろう?」


それは自宅の車を呼び付けて帰った次の日のことだった。昨日のことは自分にとっても衝撃を受けることで…朝から気になっていたのだ。

昨日、部活を休んだ不動が円堂監督の研究室の前で真っ青な顔をして座り込んでいた。自分は不動のことをこの学園にいる他の者よりは少し詳しく知っている。それは影山からもたらされた資料として提示された複雑な家庭環境と、一緒にサッカーをすることで知ったサッカーの才能。そして不屈の貪欲な精神をもった強い男だと言うことだった。あの家庭環境にもかかわらず不動はそんな苦労をお首にも出したことはないし…何よりも無断で部活を欠席することは無かったのだ。その不動が無断で部活を休んだ上にこうやって真っ青な顔をして立っていることは異常なことで息を飲んだのだった。
付き合いが短いといえ不動のただならぬ空気を読み取った円堂監督は自分の安否を気にしながらも不動の相談に乗ったようで……不動は今朝も朝から学校に来ていつもどおりより少し弛んだ感じで部活を元気にこなしていた。そのことにうれしさを感じる自分と共にむかむかと質量をともなった熱が腹に溜まるのを感じていた矢先のことだった。
自分は不動と監督の間に何があったかはわからないが何となく検討はついていて…自分はそれを認めたくない…らしい。つまりそれは……


「良いですよ。父も昨日は帰ってきませんでしたし。いつもあれ位には遅かったので今更何か言われたりはしないと思いますよ?」


気付かれたくなくて気付きたくなくてちょっと刺のある言い方をしてみる。………言った自分が嫌いになりそうで心の中で歯噛みしているとぽんっと頭に暖かい体温を感じ顔を上げる。見上げた先には眉を寄せ複雑そうな顔をした太陽の瞳と目線が交錯する。その視線はすべてを見透かしているみたいで…気持ちに嘘を吐く自分が嫌いになりそうで視線を外すと声が掛かる。


「昨日の約束覚えてるか?」


その言葉に一瞬頭が真っ白になる。そう言えば帰り際に埋め合わせはどうこうと言っていた気がする。でもそんなのは社交辞令だと思っていてたいして詳しく聞いていなかったのだ。そこまで思い出してからはっとして視線をあわせると円堂監督はにっこりと人となりが顕れた笑顔を向けながら


「何かしてほしいことが浮かんだらでイイからな」


と言われて頭を撫でられた。たったそれだけのことなのにあの言葉以降恥ずかしいくらい気分が上昇している。もう…自分の気持ちに背を向けるのは難しいのかもしれない…そう思った途端に「埋め合わせ」の事柄はすぐに決まったのだった。




「で、鬼道は俺に何か要だったのか?今の時間は部活のミーティングでもないし…次の時間は鬼道のクラスってわけでもなかったよな」

がちゃりとこの学校にしては原始的な音が響きドアが開く。その部屋は部屋の主と同じようにこざっぱりしていて昔の部屋の面影など見て取ることは難しい。唯一…記憶と一致する円堂の机は校長室にあるようなものであり、一教員には不相応である。それにもかかわらずその席につき資料をまとめる様は絵に描いたように似合っていて思わず見とれるそこまできて漸くドアの前で立ち尽くしていた自分に気付いた円堂はいつもの笑顔で俺を呼び寄せる。

「あー悪いな。この席にでも腰掛けてくれ」


言われるがまま部屋の中央まで歩み寄り席には近づくがそのままわざと立ち止まると手できつくこぶしを握り監督を見据え大きく息を吸ってからありったけの勇気を振り絞り声にする


「監督。今週の日曜日俺のスパイクを選ぶためにスポーツ用品店に行くのに付き合ってくれませんか?」


その言葉にコーヒーでも入れようと思ったんだろう給湯器のある簡易キッチンに行こうとしていた円堂は驚いた様子で立ち止まりこちらを見ている。お願いなら何でも聞いてくれるだろうしはっきりいって他人から見てもおかしくないお願いをしたと思う。ただ…不動と関係を持っているらしい円堂にとっては他人とデート擬いなことをする事になるわけで…自分でもずるいお願いをしたと思う。でも…だからといって取り止めるつもりはさらさらない。それくらいには俺の心は決まっていた。


「…鬼道…それってこの間宿題にした埋め合わせのことか?」


円堂の質問にはいと簡潔にこたえると案の定…円堂は少し考える仕草をしてからふっと笑うと


「わかった。男と男の約束だからな」


グットサインを指で作り笑った笑顔にくらくらと軽い目眩を覚えた。






「…あー…これなんてどうだ?」


必死になってスパイク一つ一つと格闘しながら俺に渾身の一対を渡してくる。本当ならスペアのスパイクなど何足もあって必要なんて微塵もないのだ。それでもこうしてスパイクを選んでもらってるのは…


「じゃあ履いてみます」


近くにある椅子に腰掛け靴を脱ぐと片方だけスパイクを履いてみる。その様子を見ていた円堂は俺の前で屈むとスパイクを履いた足を取り爪先から踵まで念入りにチェックする。

あ…円堂監督って身体の割に手が大きいんだ

節くれだって大人の手が自分の足を持ってくれてるそれだけでゆっくりとじんわり湧きだすようなくすぐったさと共に愛しさが胸を震わせほぅっと感歎のため息が口から漏れる。スパイクと俺の足の関係に夢中な円堂は全く気付いていないのだ…そこが残念でも有り嬉しかった。今まで影山に散々性の奴隷のようにつれ回され過剰なスキンシップを受けてきた自分とはかけ離れた微々たる接触に胸踊らせている自分に心の中で苦笑しながらあとはなすがままになっていた。





「ありがとうございました」


目当てのスパイクを一つ購入すると円堂に礼を言う。約束をするとき少し空いた間なんてまるでなかったような満面の笑みを浮かべ笑う監督は文句なくカッコよくて…まるで恋人どうしのデートに来たんじゃないかと甘い錯覚に陥る。


「どーいたしまして。礼を言われるほど大したことじゃないぞ?」


わしわしと思ったよりもやさしい感触で頭を撫でられるとたまらないような甘酸っぱい気持ちが胸に満ちる。こんなふうに触られたことが嬉しいなんて…初めてだった


「じゃあ帰るか」


どきどきと胸を高鳴らせながら商品を片手に持ち二人並んで歩く。駅までの微々たる距離を歩く道すがら相手をちらりと見る。端正な顔に軽く笑みと満足感を浮かべるその顔は本当にかっこいい。その顔から程よい筋肉を付けた肩からぎっちり鍛えられた身体を見てふと先程触ってくれた大きな手が目に入る。

暖かく節くれていてそのくせ…

その手は別に綺麗なんかじゃない。武骨でタコやなにやらでかたくなっていて凸凹しているはずなのに…ごくりと唾を飲む。こんなふうに休日を隣で歩くなんて事はもう無いかもしれない…そう思うと身体は自然と動いていた


「鬼道?」


驚いたように声をかけられるがやめるつもりなんか全くなくて…ぎゅっと握ったその手を離すまいと両手で包み込む。嫌がられるか怒られると思っていたら逆に頭にあの感覚が触れ…知らぬうちにうつむいていた視線をあげるといつもの笑顔が向けられていて……


「わかった。駅までな?」


その言葉にどくどくと脈打つ鼓動と手に触れたその感覚は駅に着いて別れた後も消えることがなかった



END

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