薫風('13 新選組結成150周年記念)

□朱月
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「今日の月は、朱かったな」
 そういえば、というように言って、ソウジロウと名乗る男は笑った。巫山戯た男である。へらへらと笑って決して本音を言おうとしない。この男とはほんの数刻前に出会ったばかりだが、彼の言葉の何処にも「真実」(ほんとう)がないことは聞いていれば分かる。
「月……、そうだったかな」
「えぇ。見ませんでしたか?」
「君の言うように朱色をしていたのだったら、見ていれば印象に残っただろう」
 じゃあ見てないんだ。ソウジロウは私の言葉をうけて呟く。
 子供のような男だ、と思った。ひどく無邪気で、素直。上背もありそうだが、何処か憎めない愛嬌を持っている。
「その月がどうかしたのか」
「血の色みたいだなって思って、」
 ソウジロウはそう言ってにっこりする。今の言葉の何処にも彼が微笑むべき箇所はなかったように思ったが、彼にとっては「そう」ではないのだろう。
「物騒なことを言う」
「ははは。そうですか」
「まるで人斬りのようだ」
「ああ……それなら言い得て妙だ、」
「……というと?」
「おれ、なりたいんですよねえ。ホンモノの侍に」
 言って、こちらの反応を伺うようにソウジロウは上目遣いをする。ちろりと酒を舐めたその舌は、妙に赤かった。
「侍と人斬りはちがう。寧ろ、相反する存在だ」
 もののふたるもの、私情で他人を傷付けることは決して赦されない。切り捨て御免などと云うが、その大義が認められることはごく稀なことであり、大義なく人を斬ればその者は罪人となる。
「ふうん。しかしねえ、大義があるんですよ、人斬りにも」
 ソウジロウは盃を置いた。その動きを目で追いながら、私は彼の異説の続きを待つ。
「主君に仇為そうとする者を討ったらそれは忠臣でしょ。おれはね、公方様に仇為す奴らを成敗したから、人斬りになるんだそうですよ」
「……『だそうですよ』?」
「だって、おれは難しいことは分からないから。でも、これって大義でしょう?」
 少しも気後れした様子はなく答えた男の顔を、私は訝る。真実(ほんとう)がないというより、己の考えを持たないことで努めて遠ざけているように感じた。自らの所業に対する疑念を、葛藤を。
「人斬りというのは世間で言えば不名誉な称号かもしれないけれど、大義ある人斬りは侍じゃないですかねえ」
 そう嘯く表情は真剣そのものである。だからこそ、痛ましさすら漂う。私がそんなことを考えているのを知ってか知らずか、男は盃を置いて居住まいを正した。ここからが本題だと言わんばかりに。
「あんた、おれが何者か薄々感づいているでしょう。でもね、おれも、あんたのことを知ってるんですよ」
 うふふ、と一瞬前の真摯が嘘のようにソウジロウが笑う。私は口元まで持って来ていた箸を少し下ろした。
「なに―――」
「ちょっと前までね、おれは江戸の道場で厄介になっていたんです。牛込の試衛館―――知っているでしょ。……錬兵館でしたっけ、あんた、たまに助っ人に来てくれていたなあ……」
 さ、と背筋に冷たいものが走る。牛込の試衛館道場といえば、新選組の中核のようなものだ。あの頃は尊皇だ佐幕だなどといったしがらみなどなかったから、道場同士は互いに持ちつ持たれつだった。
「私を斬るのかい」
「……おれ、この店好きなんだよなあ。追い出されたくないんです」
 だから、ね、
 微笑うソウジロウの言葉が皆まで紡がれぬうちに私は席を立った。
 店の出口へと向かうと、出しなに身奇麗ないでだちの武士に擦れ違う。見覚えがあった。思わず、足を止めて振り返る。
 男は苛立った声を上げながら真っ直ぐにソウジロウの側へ近寄っていく。
「ソージ! やっぱりここにいやがったか」
「ああ、見つかっちゃいましたか。土方さんの鼻は犬のようですねえ」
「馬鹿言ってんな。……誰か、いたのか?」
「いいえ、たまたま相席になったンですよ」
 ソウジロウはあの胡乱な態度で男に答える。ちらりとこちらを一瞥したその瞳は、さも愉快そうに笑んでいた。
「面白い人でした。また会いたいなあ」
 ソウジロウは呟く。いっそ恐ろしげな無邪気を湛えた声音で。

(……そのような機会が二度と来ないことを願うばかりだ、)

 冴え冴えとした夜気を胸一杯に吸い込んでひとりごちる。ソウジロウがどういうつもりで私を見逃したのか、真意は分からない。どこまでも巫山戯た男である。
 息をついて不意に見上げた夜闇にに鎮座する月は、ソウジロウが言うように確かに朱かった。







朱月








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