S/W

□電話越しの、
1ページ/1ページ




 飲み会の帰りというのは、どうしてこんなにも人恋しくなるのだろう。昼間よりも気温が下がって、肌触りの良くなった外気の中を歩きながらそう独りごちた。
 東京に来て、3ヶ月。大学で知り合った友人達とも随分打ち解けて、こうして内輪で飲み会をする機会も増えてきた。お酒は嫌いじゃないけれど、あまり強くない。体調が悪くならない程度に、そして場が白けない程度に加減しながら飲むのは結構難しい。おっと、まだ未成年だから本当は飲酒をしてはいけないのだった。このことはせんせーたちには内緒にしておこう、と小さく決心。
 自宅のアパートの階段を昇っている時、携帯電話のバイブレーションが鳴った。発信者の名前を見て、思わず噴き出す。噂をすれば、だ。
「もしもし」
もしもし、俺だけど
「俺って誰ですかぁー?」
『ばか、那由多だ。分かっててやってるんだろ』
「そりゃあ、登録していない人の電話には出ないもん」
 ふふ、と笑って鞄の中で迷子になった鍵を捜索する。やっぱりキーチェーン、つけようかなあ。
『今大丈夫か』
「ん、へーきだよ」
 見つけた。点いたり消えたりする頼りないライトの明かりをなんとか頼って、鍵穴に迷子を突っ込む。穴の中では迷子にならなかったと見えて、すぐに開いた。
 一日中締め切っていた室内にはむわっ、と息が詰まりそうな熱気が籠もっていた。う、と呻きながら後ろ手に鍵を閉めて入る。
「どうしたの、那由多せんせ。今日は友達とご飯って言ってたでしょ」
『だからだよ。ちゃんと家に着いたかと思って、』
「だぁーいじょうぶだってば。相変わらず心配性なんだから」
 少しだけ不機嫌そうな言葉を明るい声で躱すと、そうだけど、と何やら歯切れが悪い。ようやく履き慣れてきたヒールの高いサンダルを脱ぎ捨てながら息をつくと、小さく名を呼ばれた。
「なあに」
『元気にやってるのか』
「うん。友達、たくさんできたよ」
 鞄をフックに引っかけて、すかさずテーブルの上に置いてあるリモコンでエアコンの電源を入れる。しばし吹き出し口の下に立って冷気を享受することにした。
『……男も?』
 躊躇いがちの声に、思わず苦笑する。
「そりゃあ、男の子もいるけど。でも、大丈夫。まだ独り身でーす……先生と一緒で」
『ふん、余計なお世話だ』
 ぶっきらぼうな声。ようやくいつものせんせーだ、安心した。いい年した大人のくせに、時々すごく寂しそうな声で電話してくるものだから、少し心配になる。お仕事忙しいのかな、とか、ちゃんと寝ているのかな、とか。でも、昔から心配されてばかりだったから、ちょっとでも頼りにしてくれるのは嬉しい(と、勝手に思っているのだけれど、先生の本心はやっぱり分からない)。
「サイプリスは、元気?」
『おう。残念なことにな』
「もう、ちゃんと仲良くしてる?」
『あー……、してるしてる』
「怪しいなあ」
『怪しいとは何だ』
「だって、先生ってばすぐに突っかかるんだもん」
 あまり相手にされていない感はあるけれど、と喉まで出かかった言葉は飲み込む。久しぶりの電話なのに、怒られてばかりでは堪ったもんじゃない。
 冷気が小さな部屋の中に広がっていく。少しは居心地が良くなったので、ベッドの上に上体を投げ出した。あ―――、疲れた。
「あのね、せんせ」
 今日はあんまりお酒を飲まなかったのだけれど。いつも以上に口が滑らかに動いてしまう。頭の中ははっきりしているし、自分が何を話しているのかもちゃんと認識できているのだけれど、言葉の検閲機関がいまいち働いていないような、そんな感じ。
「ちょうどね、先生の声を聴きたいなあと思っていたところだったんだよ」
 飲み会では、いつも恋愛談義に花が咲く。誰と誰が付き合っているとか、今の彼氏がどうとか、どんな異性が好みか、とか。恋人も好きな人もいない(ことになっている)人間は挨拶程度に近況を訊かれるだけで、話の矛先が決して自分には向かないという安心感と、僅かな退屈。そういう時は、決まって故郷で待っていてくれる彼らのことを思い出す。
 恋愛か、情愛かは極めて微妙なところ。お互いに。
 でも、子供の頃のように二人に囲まれて、甘やかされたいと思ってしまう。
 こんなことは不健全だろうか。
『……俺も、声、聞きたいと思って、
 そんな考えの途中に飛び込んでくる珍しい言葉が、素直に嬉しかった。睡魔が両手を振って驚くべき速さで近づいてきたから、もしかしたら聞き間違いかも知れないけれど。それでも良い。
「ふふ、一緒だね」
『夏休み、帰ってくるのか』
「うん。テストが終わるのが今月末だから、お盆前には帰るよ」
『そうか。帰ってくる前にメールしろよ。迎えに行ってやる』
「ほんと?」
本当は今すぐ会いたいところだが、流石に無理だからな。親御さんにはお前から連絡しておけよ』
「はあい!」
 自分でも眠気が覚めるくらいの大声で返答すると、電話の向こうのせんせーは笑っているようだった。
『―――まだ、切りたくない
「え?」
『とか、思ってるんじゃないのか』
「む、……思ってるよ」
 吃驚した。先生が、そう思ってくれたのかと。否、きっとそう思っているくせに、全部人のせいにして誤魔化すのだからずるい。けれども言葉検閲機関はやはり機能せずに、思ったままの言葉が出てしまう。困ったものだ。
『ふ、良い返事だ』
 あの意地が悪い、だけれども瞳が優しくゆるんだ微笑がまぶたの裏に浮かぶ。
『じゃあな、おやすみ、また明日……メールする』
 電話でも良いんだよ、せんせ。
 その言葉は果たして口に出したのだったか、自分でも分からないまま眠りの海に溺れていった。





電話越しの、     




(お題:「確かに恋だった」より)

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ