S/W

□卒業式
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『泣いてんのか』
『……泣いてない』
 言った水野の声は、らしくないくらい沈んだ声だった。半分を腕に埋めて、目だけを前に向けた顔を覗き込もうとすると、手の甲で力の限りそれを阻まれる。裏拳とは、この女なかなかやるな。
『送辞ん時は? 泣いてただろ』
『しつこい。泣いてないってば!』
『泣いてたよ。声、震えてたし。鼻水すする音うるさかったし』
『うっさい、東山の分際でぇ! 目と鼻から汗がでたの!』
『………何だよその言い訳』
 笑えば、今度は脛を蹴られた。だけれどそれはいつもに比べたら随分と弱々しくて、その分、俺は脛よりも心に多大なダメージを受けた。―――それは、泣いていないと言いながら未だ鼻をすすっている、こいつが今抱えている心のダメージとは、また異なるんだろう。
『会いに行かねぇの?』
『行かない』
 俺と水野しかいない生徒会室はひどく静かだった。校舎の中は、という方が適切かもしれないが。
 卒業式の午後となれば、在校生は皆、校庭で部活や派閥の先輩達との別れを惜しんでいる。そんな中、見送りの『み』の字もなく校舎内に屯しているのは、俺達を除いてはいないだろう。
『意地っ張りめ』
『は? 誰が意地なんか張るか
っ』
 そう言って水野が振りかざす腕を、慌てて掴む。この上殴られるのはごめんだ。
『やっぱ泣いてんじゃん』
『……っ、卒業式くらい、別にいいでしょ!』
 歪んだ顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったけれど、何だか可愛く思えて仕方がなかった。―――俺は、末期かもしれない。
『別にもう一生会えない訳じゃないだろ』
『会えないもん……っ街で偶然に、なんて漫画みたいなこと滅多におきないんだから……っ!』
 漫画を愛好している割にこいつ、漫画を信頼していないな。事実は小説より奇なり、だぞ。
 水野の涙腺はまたもや緩んでしまったようで、大きな目から、大きな粒の涙が溢れ出す。水野に普段虐げられている俺が奴のこんな姿を見るのは、無論初めてで、俺が悪いような罪悪感が胸中をさいなみ出した。
『何弱気なこと言ってんだ! いつもの威勢はどうした』
『いつも内気なシャイガールだもん』
『笑っていいですか。……じゃなくて。朝霞さんのメアドとか聞いたのか』
『え……っな、何で朝霞先輩!?』
 水野は見る間にタコのように赤くなる。実に愉快な様変わりだが、俺には両刃の刃と言うやつだ。
『ばれてないつもりだったのか。お前、にっぶいなあ』
『うるさーい
っ! あんたに言われたくないわ!』
 それは俺の台詞だ。
『とにかく。んで、知ってるのか知らねぇのか』
『知らん。……っていうかあたし、携帯持ってないし』
『パソコンは』
『親しか持ってない』
 私生活まで生真面目なやつめ。
『この際住所でも電話番号でもいい。とにかく聞きに行くぞ。絶対につながりを絶つな』
『もう帰ったかもしれんし……』
『だから、その弱気! 水野らしくない! 不気味だ!』
『不気味とはなんだっ! か弱い女子に向かって言う言葉じゃないでしょ、それ!』
『それじゃあ水野には言っても良いってことだな』
『は? ふざけんなーっあたしほどか弱い女子が他にどこにいる!』
 そんなに口悪く怒鳴りながら男子の胸ぐらを掴む女子は、少なくともか弱くはないと思うのだが気のせいだろうか。
『いくぞ。まだ朝霞さん、いるはずだから』
『ぎゃっ急に引っ張らないでよ! 腕抜けるから!』
 俺は騒がしく抗議をまくしたてる水野の手首を掴んで、生徒会室を飛び出した。誰もいない廊下に、水野の声と足音だけが反響する。
『朝霞に……っ朝霞大翔に会ったって、言うことなんかないもん……っ!』
『ないわけないだろうが。ついでにボタンなりネー
ムプレートなり貰ってこい!』
『〜っ、お前、朝霞の人気なめんなよっ! こんな遅くに行ったって残ってるはずないじゃん!』
 そう言ってまた、水野は涙声になる。どうやら今日は随分と情緒不安定なようだ。
 それから、焦れったくなるほどこいつは朝霞さんが好きらしい。分かっていたことではあるけど、改めて認識してしまうと結構きついものがある。
『あーあ、俺何やってんだろ…………』
 これじゃあまるで恋のキューピッドだ。好きな女が他の男へ抱いてる恋をなんとかしてやろうなんて、馬鹿の極み。
 だけど水野の手を握れたからまあいいか、などと考えて少しばかり(本当に少し、だ)嬉しくなっているのだから、救えない。

(―――まあ、今は水野だって俺の背中だけを見ている訳だし)

 階段を一気に降りきって、中庭へ向かう。窓ガラスからそちらを伺えば、―――やはり。見慣れた人影が三つほど、こちらに背を向けてベンチに腰掛けていた。右から黒のポニーテール、黒の短髪、茶の短髪。こんなに分かりやすい後ろ姿も、そうない。
 そんなことをチラリと脳内によぎらせ、背後の水野は嬉しそうな顔をしているんだろうなあ、なんて考えたら、すごく悔しくなった。




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