S/W

□死の逝く先
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 反魂術が使えたとしたらどうする、と今しがたまで原稿用紙を前に唸っていたルイが聞いてきた時は、それこそすぐには言葉が出なくなるほど驚いた。
 それはナユタも同様だったようで、執務机の書類から目を離して眉根を寄せる。
「反魂術なんて、よくそんな言葉を知ってたな」
「今日のね、古典の授業で西行法師が死人を生き帰らせる話をやったの。それで先生が、死者を蘇生させる術を反魂術って云うんだって言ってた」
 少し誇らしげに言う彼女をちゃんと授業を聞いていると誉めてやりたいところだけれど、同時にそのようなことを彼女に教えた教師を恨めしくも思った。そのうえ彼女が私たちにした質問は宿題の作文のテーマになっているというのだから困りものだ。
「俺には別に生き返らせたい人なんていないからな」
 ひらひらと手を振ったナユタは、ちらと此方を一瞥して目を細めた。私の答えを牽制するように。
「私もご遠慮したいね。反魂術で蘇るのは肉体ばかりで、心は戻らないというじゃないか。それでは寂しいばかりだよ」
「うーん、そっか。―――自分だけ覚えてるのは寂しいもんね」
「ああ。それより大切なことは、己自身、そして周りの人々との間に悔いが残らないように
生きることだろう?」
 そう言って頭をくしゃりと撫でてやれば、ルイは擽ったそうに肩をすくめた。
「そのこと、作文に書いてもいい?」
「構わないよ、君の助けになれて光栄だ」
「ばか、全く助けにならん。流惟も、自分の力でやらなきゃ意味がないだろ」



*



「あれはあんたの本心なのか?」
「あれ、とは?」
「反魂術の話だ」
 ソファに腰掛けていた私に赤ワインを差し出したナユタは、自身も一人分のスペースを空けて右隣に身を沈める。
 ノンフレームの眼鏡の向こう側にあるグレイがかった瞳は、無関心を装うように窓の外を眺めていたけれど、確かに返答を望んでいるようだ。
「本心だよ。私が言っても説得力は無いだろうが―――一度死んだ人間を、生きている者の意志で蘇らせるなどということは、命への冒涜だ」
「それでも一度くらいは試そうとしたことくらいあるんだろう」
「そりゃあ、思ったことくらいはある。しかし、そんなことをしたところで、生き返るのはリョウではない。外見はリョウであるのに、心がないなんて耐えられないよ」
 赤ワインを一気に煽る。元来私は酒には強いたちであるのに、この時ばかりはくらくらとめまいがした。
「それは、あんた
のエゴだな」
「そうだとも。生き返らせたいと思ったのも、生き返らせたくないと思ったのも、すべては私の勝手な意志だ。―――だから、反魂術は、死者への冒涜なのだろう」
 死んでしまった者の意志など、まるで無視してしまっているのだから。
 自嘲を湛えて言うと、ナユタは僅かばかり不機嫌そうな顔をして、私に視線を向けた。
 生粋の日本人であるのにグレイの瞳は、リョウのそれとそっくりだ。酷似した双眸が映し出す視界もまた、同じなのだろうかと思えば、ひどく心が穏やかになる。
「君こそどうなんだ。さっきのは答えにはなっていないだろう―――例えば、考えたくはないけれどもし、ルイが死んでしまったとしたら」
 ナユタは片眉を持ち上げて小さく鼻を鳴らした。
「俺が生きている限り流惟は死なせない。俺はそのために医者になったんだからな」
「ずるい答えだな。そうやって直ぐにはぐらかすのだから」
「ふん。嘘がつけないのはお互い様だろ」
 ナユタはYシャツの胸ポケットから煙草を一本取り出し、口にくわえた。私は彼の手に握られたシガーケースから一本を抜き取って、ナユタがそうしたように口元に持っていった。彼は不機嫌な顔をするかと思ったが、意外にも快く
ライターを放って寄越す。
「あんた、煙草吸えたのか」
「吸えないことはないが、好きではない」
「随分と自虐的じゃないか」
「性分なんでね」
 吐き出す紫煙が例えば反魂香のように死んだ者の姿を映すものであったなら、私は煙草を吸い続けたろうか?
 粋狂で頭にふと浮かんだ疑問をそのまま言葉にしたところ、ナユタはくつりと喉を鳴らして、
「その時は俺があんたの火を消してやるよ」
笑った。
「リョウは君の曽祖父だよ?」
「分かってるよ。だが、死んだ人間より、今生きている使いっ走りの方が使い手はあるからな」
 冷たい物言いだが、仏を敬わず、怖いもの知らずなその態度は、かえってリョウと彼との血の繋がりを感じさせた。
「それは、心強いことだな」
 肺一杯に息を吸い込んで吐き出した紫煙は、私の視界と嗅覚を奪っていった。








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