S/W

□本物の花になりたかった。
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「綺麗な花……、」
 溜め息と一緒に溢れた言葉に、彼は優しい表情(かお)をもっと優しく綻ばせた。
「そうだろう」
「名前は何ていうの?」
 彼は少しだけ困ったように呼吸を置いて、それからすぐににっこりする。
「……『ユリア』、」
「うそでしょう。私とおんなじ名前!」
「驚いた?」
「ええ、とても!」
 頷くと、彼は安堵したように目を細めて、その花弁に口付けた。男の人のくせに、そんな動作すべてが綺麗だ。ほんの少しだけ、ずるいと思う。
「花言葉は、『最愛』」
 サファイアの瞳が、太陽の光を承けた瞳が、わずかに、濡れている気がした。わたしは陶然とそのふたつの宝石に魅入って、続く言葉を待つ。

「受け取って。僕の、気持ちだよ」
「……気障っ!」
 思わず叫んだわたしに、彼は悪戯っぽく微笑って、『ユリア』を差し出した。
 それは、陽光がきらきらとわたしたちを包む日だった。





「元気のないユリアに、花束を持ってきたのだけど……先客がいたみたいだね」
 カルドネは、近所の花屋の看板息子だ。わたしが小さい頃から兄貴風を吹かして何かと世話を焼いてくる。
 店にも出ずに部屋に引き込もっているわたしを心配しにきたのか笑いにきたのか、はたまた説教をしにきたのかは分からないけど、言葉通りオレンジを基調とした花束を手にしたカルドネは、息をついてわたしの正面に立った。


 『彼』は、もういない。
 誰が誰を殺しただとか、昨晩は何処の家で強盗に入られただとか、そんなニュースの絶えないこの街では、人一人が突然姿を消そうとそれほど驚くことではなかった。よくあること、だ。
 それでももちろん、よくあること、だといって割り切れないことだってある。わたしにとっては今回が「そう」だった。

「違うわ、彼にもらったのよ」
「このローザンセを?」
 カルドネは不思議そうに、或いは呆れて、わたしのデスクの上の『ユリア』を指差した。
「……この花、ユリアっていうんじゃないの」
「ユリアは君のことだろう」
 顔を上げたわたしを怪訝そうに見るカルドネは、嘘をついている風ではない。息をひとつついて、
「ローザンセ。花言葉は、『同情からはじまる愛』」
 花屋の息子はつらつらと澱みなく言い切る。
「なにそれ……ひどい花言葉、」
 どうしてか、笑みが溢れた。涙なんか出てこない。もう枯れちゃったのかしら、と思う。カルドネはそんなわたしを気遣わしげに見て、頭を撫でてくれた。
「それをくれた男は、花言葉なんて気にしないやつだったんだね」
 ふと、彼の笑顔が脳裏をよぎる。カルドネの言葉に、わたしは胸の奥でそっと頭を振った。

 ちがう。きっと彼は、この花のほんとうの名前も、花言葉も知っていたのだと思う。博識で、細やかで、ロマンチックな人だった。ミステリアスな所も多かったけれど、そんな所にさえも惹かれた。途方もなく。
 そう考えて、ふと、私は『彼』について何一つ知らないのだと思い知る。知っているとすれば、嘘みたいに優しい表情と、きらきら光るサファイアの瞳、そして甘い甘いミルクティーヴォイス。そんな表面的なものしか、知らない。きっと彼にしたって、そうだろう。私のことを、何も、彼に対する気持ちさえも、知らないのだろう。
 夢のような恋だった。まさしく同情からはじまった愛は、彼の『最愛』に成り得たのだろうか?


 わたしは、彼の声を思い出さないように、そっと耳を塞いだ。カルドネが頭に優しいキスを落としてくれる。
 何も知らず、終わった恋だったけれど―――ただひとつだけ、わたしはほんとうのことを知っている。


 どんなに偽物めいたものだったとしてもわたしにとって、この愛はほんものだった。あの眩い日溜まりは、わたしの幸福(しあわせ)だったのだ、と。






I miss you.
(あいしていました)














―――end?

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