S/W

□Remember the love
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 別段美人だと思ったことはない。強いて言えば何気ない仕種がすきなのだ、と昼のキッチンに立ちながら考えた。
 昨日キスをした時はラーメンの味がした。直前に食べていたから。そういう飾らない所もすきかもしれない。人の目を気にして身動きが取れなくなったあたしが、失くしてしまったモノばかりだ。


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 灯火の少ない夜の公園に人気はない。寒さに凍えながら、あたしたちはもう何時間も手を繋いでいた。掌は冷たいのに汗ばんでいる。
 今が永遠に続くような感覚は、べったりと甘くて刺激的で、コーラに似ていると唐突に思った。この幻想で溺れて、ぐずぐずに溶け合えてしまえたなら、どんなに幸せだろう。


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 カレンダーにピンクの丸が列ぶ。今朝のエレベーターでの逢瀬はほんとに偶然だった。7Fから降りてきた鉄の箱の中から手を振る時の笑顔が嬉しかった。
 だから、今日は日付をハートで囲ってみた。物事を冷めた見方をする恋人はきっと笑うだろうからこの愛おしい印は見せない。あたしだけの、愛おしい秘密だ。


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 夜の階段を冷たい風が鳴きながら吹き抜けてゆく。白いコンクリートの手摺りから身を乗り出して夜の街を見つめると、鼻の奥がきゅっと強張った。
 噂なんだけど―――反芻する声に頭を振る。浮気を疑っているのではない、危うく脆いからこそ美しいそれを、ただ盲信していられなくなったあたしが悪いのだ。


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 昼間とは言え、寂れた教会に人の姿はなかった。外からの鳥の囀りを聞きながらどちらともなく抱き合うと、それだけで泣きそうになる。
 次にクロスの前に立った時、恐らくあたしの隣にいるのは君ではないのだと思う。けれどもあたしは信徒ではないから、愛の神の加護に縋り付くことしか出来ないのだ。

(かみさま、どうか。)

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 お日様が暖かいから、とストーブもつけないで寄り添っていた。リビングの床の上に直に座っていてもちっとも寒くはない。それは偏に、隣にいるこの人間湯たんぽのお陰だ。
 眠くなっちゃうね、と微笑う顔に、忘れていた問いをふと思い出して、胸が苦しくなった。

(なんでこんなに好きになっちゃったんだろう)

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 早朝の坂道を一気に駆け上がった。喉の奥が乾いてくっつくいて、息がうまく出来なくなる。深呼吸しようと立ち止まって空を仰ぐと、雪が肌を冷たく擽る。
 この斑雪はまるで彼女の言葉のようだと思った。この身を冷やし侵して、辛さばかりを想起させる。―――逢わなければよかった。嫌いになれないから、ただ辛く苦しい。


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 テンションの高い深夜のラジオを消して、ずっと考えていた提案をした。運転席からの視線には応じることが出来ず、道路縁の落ち葉が舞い上がるのを見た。言葉にするのは存外簡単だった。多分、君と恋をしたことの方がずっと難しい。
 お互い無言のまま、二人で泣いた。彼女の答えは恐らく『諾』だろう。


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 まだ皆が寝ている中、二人で抜け出して近くの橋の上を歩いた。まだ酒が抜け切っていないのか青白い顔をした彼女は徐に立ち止まり、手にしていた紙袋を突き出した。
「次は君の番」
 見れば小さな花束が入っている。多くの人々に愛され祝福された昨日の結婚式で、彼女が何故か投げようとしなかったブーケだ。
 あたしは何年か振りにその顔をまじまじと見た。別段美人だと思ったことはない。だけど、朝日に照らされた彼女は綺麗だった。綺麗で、幸せそうだった。そう思った瞬間、溢れてきた涙を止めることは出来なかった。彼女は何も言わず、あたしの手に袋の中から取り出したブーケを握らせた。
 ありがとう。声にならない声で言うと、彼女はぎこちなく笑う。そういう、何気ない仕種がすきだった。不器用で冷めていて、飾らないところも、ぜんぶ。
 あたしは彼女を抱きしめる代わりに、彼女がくれたブーケを抱きしめた。




Remember the love

 視界の中で滲んでぼやける花は、まるであの頃の記憶のように美しかった。







End

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