brave10

□蜘蛛の糸 壱
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アナの裏切りから一カ月がたとうとしていた。アナも上田城に帰ってきて、また昔のような日々へと動き始めていたころ。

六郎は一人、急須をもって佇んでいた。理由はこうだ。お茶っぱを切らした。で、買い出しにいかなければならない。が、女中は今不在だし、勇士達も個々、忙しそうに見える。では自分が買い出しにと思ったが、小姓が主の傍を離れるわけにもいかない。ため息をつき、頭を悩ませたとき。
「六郎、どうした?」
タイミングがいいのか悪いのか、幸村が現れた。柱に寄り掛かり、六郎と急須を交互に見つめる。
「急須がどうかしたのか?ずっとにらめっこしているようだが。」
「・・・お茶を切らしました。」
今日の一服は無理のようです。
幸村は、毎日欠かさず六郎がいれらお茶を飲んでいた。だから、お茶を入れるのは六郎の大切な日課となっている。
それがなくなると、何故か調子が狂う。
「では行くか。」
「え?」
「街にじゃ。買いにゆくのだろう?」
幸村は当然といったふうに、出掛ける準備をしにいこうとする。突拍子のない男だ。慌てて前に回り込み、叫ぶ。
「若!若を参らせるわけにはいけません!」
「しかしお茶はどうするのじゃ。」
「誰かに頼んで・・」
さっと周りに目を走らせば、鎌之助が通り過ぎるとこだった。
「鎌之助!」
名を呼ぶと赤みがかった髪を揺らし、鎌之助が振り返った。
「お!小姓、なんだ飯か!」
「さっき昼食をとったばかりでしょう。今日は頼みたいことがあるのですが。」
「めんどくさっ。俺はニョロを探してるんだよ。」
早く行かせろと腕を振る鎌之助をじっと静かに見つめる。鎌之助はうぅっと身を引き、わかったと縁側に座り胡坐をかいた。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「お茶っぱを買ってきてほしいのですが。」
「お茶っぱぁ?適当かってこればいいんだろ?」
六郎は頭が再び痛み出した。そうだった。お茶の種類の説明などもしないといけない。それを理解できる人間が今ここにはいない。初めから自分が行けばよかった。
「ありがとうございます。やっぱり大丈夫です。あなたに若を頼んだほうが早そうですね。」
戦力としては他の勇士にいささか劣る自分よりはまだ役に立つだろう。
「若、そういうわけですので、おとなしく城にいてください。いいですか?」
「一人で行くのか?」
「はい、あれから一カ月がたったとわいえ警戒を解くわけにはまいりませんし、近くの街ですので問題ありません。申の刻までには戻りますので。」
幸村はそうかと頷き、笑みを浮かべた。
「では気をつけるのだぞ。」
六郎は頭をさげ、早速買い出しに出たのだった。


欲しかったお茶はすぐに見つかった。味わい深く、香ばしいこのお茶は幸村がもっとも好んで飲むお茶だった。酒好きであるけれど、日常でいつも口にするのはこのお茶だ。

― 六郎が入れた茶を飲むと頭がすっきりしていい策が浮かぶ ―

まだ小姓に成り立てで、何もかもたどたどしかった六郎に、幸村はよくそう言って頭を撫でてくれた。幸村の頭の良さは小姓になる前に、ちらっとみみにしていたからそんなことはないとしっていても、その優しさが嬉しかった。
早く帰って新茶を入れてあげよう。少し速足になったとき、家もまだらにしか建たない田舎道で、蹲っている人影があった。
「あの、大丈夫ですか。」
歩み寄り肩にそっと手をかける。その肩は小刻みに震えていて、尋常ではないものを感じた。
「今医者を呼びますから。」
背中をさすり、顔を覗き込む。しかし覆面をかぶっていて顔はほとんど見えなかった。
ちらっと覗いた目がどこかで見たことがある気がする。しかし今はそんなことを思っている場合じゃない。医者を呼びにいこうと立ち上がったとき、手首をガシッと掴まれた。意外なほど強い力と、そして氷のように冷たい手。
「ほんと親切にしていただいて。」
六郎は身の毛がよだつのを感じた。この声を知っている。魂まで引きずり落とすような地を這う声を。
「っっ!」
飛びのこうとするが、しっかりと腕を掴まれている。逆に引っ張られ、六郎はバランスを崩し、その人物の腕の中に倒れこんだ。力強く抱きこまれ、六郎は息がつまった。
「お久しぶりです、真田幸村の小姓殿。」
「服部・・半蔵っ!」
ぐっと奥歯を噛み締める。忘れるわけもない。勇士がばらばらになる危機をつくった男だ。
すぐさま超音波をだそうと口を開ける。が、片手で口を覆われ不発に終わる。
「んんーっ!」
もがいてもこの男の力は強く、抑え込まれる。
「さぁ、私は今寒くて凍えています。温めてくれるでしょう?」
からめ捕るような声に気分が悪くなってくる。脂汗がこめかみをつたった。
首筋を這う唇の感覚にぞっとしながら、思わず叫んだ若っという声も彼の口のなかに吸い込まれる。
視界が暗くなってゆく。
若。
もう一度心のなかで呟き、六郎は意識を手放した。


気づいたとき、まず眼に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。
「うっ」
身体がだるい。自分の思うように動いてくれなかった。部屋の中はじめじめしていて、隙間から冷気が入り込む。六郎は身を震わせた。
「お目ざめになりましたか。」
目の前にあの冷酷な顔が現れる。その瞬間、六郎の脳ははっきりと覚醒した。睨みつけ、苦々しく囁く。
「私をどうするつもりですか?」
半蔵はそんな六郎の様子に微笑むだけだった。
布団に寝かされただけの六郎のむき出しの腹に顔を寄せる。
「温めてもらうだけですよ。」
その冷たい手にかき抱かれ、六郎まで身体の芯から冷え切ってゆくようだった。
「初めて貴方を見たときから惹かれていました。その白魚のような肌、絹のような髪、赤く煌めく瞳、扇情的な動き。」
ゆっくり口づけが落とされる。でも一番惹きつけられたのは、と半蔵は耳元に口を寄せ、耳たぶを甘噛みしながらうっとりと言った。
「その真田幸村への依存。貴方がたを見たとき鳥肌が立ちました。なんてはかなく、脆い。」
半蔵の舌が色を失った六郎の唇を舐めた。六郎は固く眼を閉じ静かに拒む。次に何が起こるのかは六郎でも予想はできた。しかし怖くはない。六郎は小さいころからそのときのために備えてしっかり学んでる。
だが、ひとつだけどうしても避けたいことがあった。そのことさえ避けられるのならどんなことでも受けよう。
しかしそれだけは・・・。
六郎は唇を噛み、ただ祈るしかなかった。


いつの間にか山の端に夕日がかかり、城を赤く染め上げる。幸村の部屋にも真っ赤な光線が惜しみなく降り注いでいた。
「六郎。」
書物を読んでいた幸村は自分の小姓の名を呼ぶ。しかしいつもはすぐに返ってくる返事は、今はなかった。不審に思い顔を上げる。
「六郎、お・・・」
言葉はすぐに途切れた。
そうだ、六郎は今買い出しにいっているのだった。幸村は思わず苦笑した。六郎に頼り切っている自分をはっきりと自覚し、顎をかく。主と小姓とはそういうものなのか、それとも自分たちが特別なのか。
「佐助。」
柱に腕をかけ、上に呼び掛ける。すぐさま人影が目の前に現れた。
「六郎はまだ戻っておらんか。」
「見てない。六郎、帰ってない。」
佐助が首を振る。幸村はフーッと息を吐いた。
「申の刻までには帰るといっておったのだが。」
もう約束の時刻はとうに過ぎている。六郎に限って寄り道するということはありえない。では・・
「・・・何かあったか。」
低く呟くと、さっと佐助が顔をあげた。命令を待っているのだ。
幸村が口を開け、言葉を紡ごうとしたとき。
「ちょうどよかったわ!」
どこにいってたのか、慌てたように木から降り立ったのはアナだった。
「どうした。」
アナが幸村を見上げる。まだ罪悪感があるのか、ちゃんとは、眼を合せなかった。
「なんともなければいいんだけど・・・氷漬けにしていた半蔵が消えているの。」
息を切らし、真剣な面持ちのアナに尋常でないものを感じる。まだ生きているなど考えたくもないが、姿がなくなったならそれも考えなければならない。
「・・・・アナ、城を頼む。」
「?どこにいくの?」
「六郎を探しにいく。」
嫌な予感がしてならなかった。
「ちょっと、一人で行くつもり!?」
「下町にいくだけじゃ。六郎をみつけたらすぐ戻る。お前たちは城を守ってくれ。」
ちょっとっ!とみんなが制止する声に耳を貸さず、幸村は馬にまたがり、駆けだした。
森のなかを走りながら六郎の身をあんじる。
あの時、六郎が片目を失い、幸村に城へと運ばれる時六郎は言ったのだ。申し訳ありませんと。その言葉を聞いて、幸村は誓った。もう二度と六郎を傷つけやさせない、守り抜くと。それなのに。迂闊に一人行かせた自分に舌うちしたい。
何もなければそれに越したことはないが・・・。
「オッサン!」
「! 才蔵かっ!」
上を見上げれば才蔵が枝から枝へと渡り、幸村の横につけた。
「何をしておる?」
「一人で探せるなんて過信し過ぎだぜオッサン。城はオッサン勇士に任せている。街へは猿のやつをいかせた。」
「気が利くのぅ。」
笑ってみせたが顔が引きつっているのがわかった。無理があると自覚しているからすぐに真顔に戻す。
「・・・なんか気になることでもあるのか。」
「ああ、アナの情報だ。もし半蔵が絡んでると考えるなら、その場所は注意したほうがいいな。」
「どこじゃ?」
「・・・半蔵が絡んでるって思うのか。」
「わからん。しかし、心配事は取り払うに越したことはない。」
才蔵はその答えを予想していたらしく、あっさりとその場所がある場所を指さす。
「あのさらに奥深くに小さな古い屋敷がある。そこで、アナはいつも命令を受けていたらしい。」
「なるほどな・・・。復活してさすがに
そう遠くにも行けまい。その場所にいるなら妥当じゃな。」
馬の向きをかえ、まだふみいったことのない道のない場所に入る。
才蔵も無言でついてくる。どうかただの心配で終わるように。幸村は強く手綱を握った。


どのくらいたったのだろうか。外はすっかり暗くなり、格子の隙間から月が見える。
半蔵は六郎の服をはぎ取るのではなく、ただ肌を撫でるだけだった。何をたくらんでいるのか、もし自分が恐れていることだったら?
「あなたは何をしたいのですか。」
「何も?ただ私は人が嫌いなだけですよ。幸せそうにしている人がね。」
さっきからおとずれるのは甘い痺れで、思考が乱れる。小さな波のようなそれは六郎を焦らすだけだった。
「もうすぐですよ。もうすぐ貴方を楽しませてあげましょう。」
ほら、耳を澄まして?と半蔵が楽しそうに眼を細める。月夜に聞こえるものは虫の鳴き声と風の音。そして、馬の蹄が地をける音。六郎は最悪な事態が起ころうとしていることがわかり、喘いだ。だめだ。来ては。
こんな姿を見せるわけにはいかない。
六郎はできることなら消えてしまいたかった。
「あの・・・音は。」
「そうですよ。あなたが敬愛する真田幸村がここへ向かっている。」
「そんな・・・っ。どうか、それだけはっ。」
恥を承知で半蔵にすがり付く。
「どうか・・・なんでもあなたがおっしゃるようにいたします。」
なんでも?半蔵は心底楽しげに笑い声をもらす。伸ばされた指が六郎の目尻を撫でる。
「とても魅力ある提案ですが、今日は残念ながらそれにこたえるわけにはいけませんね。」
六郎は眼を見開き、肩で大きく息を吐いた。蹄の音がやけに大きく頭に響く。
六郎。
と幸村が呼ぶ声が聞こえた気がした。
こないで、どうかそのまま通りすぎて。
「ああ、とうとう来ちゃいましたね。やっとで主と対面できますよ。」
そういうなり、半蔵は急に六郎の足の間に、身体を割り込ませた。六郎は声にならなに悲鳴をあげた。なんとかしてその身体から抜け出そうとするが、半蔵がそれを許さなかった。足を絡め、擦りつけてくる。
六郎はもう息をするのも忘れた。空気が肺に入らず頭が真っ白になる。
嫌だ。絶対に見られたくない。見られるくらいなら・・・。
六郎は舌を出した。この舌を噛めば死ねる。
若にこんな姿をみせるくらいなら死を選ぶ。
えれが六郎のプライドだった。
しかしいち早く六郎の行動に気づいた半蔵がそうはさせてくれなかった。鳩尾を軽く殴られる。それはみごとに急所に決まり、ニ、三回痙攣したあと、六郎は意識を手放した。
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