御題所

□和綴十題
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「おかえりなさい、アルト」
「……」
「お腹空いちゃった。何か、」
「……」
「アルト?」
「…ただい、ま…」

船団の航路探索業務を終えたその日の夜。アパートに帰宅するなり布団を敷いて、その中に包まってしまった。シェリルの出迎えの声にもまったく反応できないほどに疲弊しきっていたのだ。後になって彼はそう弁明したという。
「失礼しちゃうわね、まったく」
ぽつりと独り言を呟くと、間もなくして、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきたものだから、シェリルはあからさまに眉間に皺を寄せた。
なんて腹立たしい事だろう。銀河の妖精と世に謳われる自慢の恋人が迎えを待っていたというのにもかかわらず、この男、早乙女アルトは一瞥をくれただけで、全く信じ難いことにそそくさと寝入ってしまったのだ。
「相変わらずお綺麗な寝顔だこと」
含みを持たせた褒め言葉も、今は無意味だ。
彼を評する声は数多あるが、要するに美しいのだ。何もかもが。さらさらとした漆黒の長い髪、細く整った眉に瞼を閉じると一層長く影を落とす睫、筋の通った鼻梁、つつしまやかな桃色の口唇、そしてすべらかな肌は白磁を思わせる。さらに幼少から女形として育て上げられたものだから、身のこなし方が一々絵になる。
早乙女アルトという存在を構築するそのどれをとっても、溜息が出るほどに綺麗で、輝いてて、
「…って、何考えてるのよ!あたしったら」
誰が見ているというわけでもないのに、さっきから独り言を重ねたり、目の前の眠れる麗人に想いを馳せては勝手に頬を赤らめたりしている自分の奇妙さに今更ながら気がついて、シェリルは肩を落とした。
「それもこれも、全部アンタが悪いのよ」
取って付けたように文句を言っても、呑気に寝こけている表情にはまったく変化がない。規則正しい寝息も静かに続いている。
脳内ではあれこれ褒めちぎったけれど、女としてのプライドが先立ってしまうので実際に本人に向かって口にしたことはなかったように思う。ごくたまにブロンドの髪をした友人と共に、姫、とからかうことはあるのだが。それはあくまでその後の彼の反応を楽しむためである。
「もう、起きたら覚悟なさ…い…」
文字通り眠り姫の役でも演じているのかと言いたいくらい、夢枕にある穏やかな姿を眺めているうちに自分にも睡魔が襲ってきた。それといって抵抗する理由もなかったのでシェリルはその波に身を任せてゆく。頭だけは彼が敷いた布団に乗せ、身体は畳に直に横たえた。掛け布団もなにもなく、少々火照っていた身には、真新しい畳はひんやりとしていて心地よかったのだ。






アルトが寒気を覚えて目覚めると、布団には桃色の髪の少女が幸せそうに眠っており、自分はそこから追い出されたのだと知ってひどくうなだれたのはその明け方の時分である。



こうけい【紅閨】
美人の寝室の美称





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