御題所

□和綴十題
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真冬の夜はとても静かだ。肌に触れるそれも、肺にまで流れ込むそれも、すべてが凍てついた空気に満たされている。せめてもの暖を取りたいが為に吐き出された息でさえ、暗闇の中に白く浮かんでは消えていった。この寒気のなかで生暖かい呼気は異質な存在だからと、排除されてしまっているようだ。冬の夜は四季の中で最も時間が長い。
生まれて初めて、白哉はその事をひどく億劫に感じた。
「今宵はまた、冷え込むな…」
勿論、朽木家当主である彼の自室には空調が万全に整えられていたので本来ならば何の不自由もない。ところが今、白哉は庭に面した廊下に一人立っていたのだ。冬の夜にひとり、それも薄絹の襦袢とその上にたった一枚の羽織を纏っただけの姿で。
「戌吊は、より一層に冷えることだろう」
夜闇に向かって人知れずに呟く。
想われるのは、あの貧しい街で暮らすひとりの娘のこと。先だって、思いがけなく知り合った流魂街の、それもかなり下層の街に住む緋真という者のことだった。緋真は流魂街では珍しいことに女一人で居宅を持っていた。とはいえ、所詮戌吊である。家と呼ぶには粗末な、ともすれば小屋とも呼べぬ代物で、晩秋にもなると木枯らしが壁や入り口かの隙間から吹き入ってしまうほど。さらに冬の夜ともなれば、御屋敷育ちの白哉には想像も及ばなかった。それから何度か彼女のもとを訪れては、来る冬を見越して毛布や綿入りの厚い衣を渡そうとしたが、頑なに断られた。それどころか、せめて雨風を凌げる場所を持つ自分ではなく、戌吊の戸外で寒さに凍える幼子達にそれらは与えてやってほしいといった。申し訳ありません、自分には勿体無いですからと。悲しい眼をしたままそっと微笑んだ彼女は、今頃どうしているのだろうか。床板の上に筵を引き、端切れを繋ぎ合わせた一枚の掛け布団で全身を包み込むようにして、あの細身を震わせながら眠っているのだろうか。
だとすれば、こうして屋敷でのうのうと暮らす自分がひどく不甲斐無いものに感じられた。一人の女を想って、今日もまた眠れぬ夜が白哉に訪れているのだ。
「緋真…お前は今、何処にいる?」
分かり切った事だ。彼女はあのあばら家にいるに違いない。たったひとりで、膝を抱えて凍えている。
(…………もう十分だろう。それ以上は、私が、我慢ならぬのだ)
いっそ彼女を攫って、屋敷へ連れ帰ってしまいたい衝動に白哉は駆られた。此処に来れば、絶対に日々の暮らしには事欠かない。暖かい寝床も、衣食も満足にあるのだ。これは決して同情ではない。そのような高尚なものではなく、もっと身勝手な情から来るものだ。緋真は戌吊の地を離れられないと言っているのだから、彼女の意思に反したものである筈だ。しかしそうまでしても、たとえ彼女自身から非難されたとしても、離れたくなかった。離したくなどなかった。

永遠にも感じられる冷たい夜を越えた先に、彼が捜し求めた答えが待っていた。




ただ、貴女に傍に居て欲しかった。






えいや【永夜】
冬の夜のように夜が長い














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