白刃の城book

□ファントム・ペイン
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痛むのだ。
己が自ら捨て置いた切れ端が

聞こえるのだ。
痛みに声を上げるのが。





[もう戻らないというのに]




時折、それは訪れた。
雨の日には古傷が疼くというが、男の場合、その痛みは天気の良い満月の夜に良く現れた。
何故だか、理由は解っていた。それは男が"スカウト"されて、今までの自分の職業とは相反する形で海へと漕ぎだした、その日の景色と重なるからだ。見慣れたはずの海が、空が、何もかもが新鮮に見えた、そんな夜だった。
微かな風がサッシュを宙に舞わせた。癖のある、長めの闇色の髪は、それでも闇とは同化しなかった。
紫色の煙が細く上がり、霧散する。だが眼を凝らせば意地汚くそこに留まっているのが解り、男は口の端を歪めてみせた。ツキリ、と心臓の辺りが痛む。
あの時選んだ道を、後悔はしていない。それは、男の唯一の支配者である"赤髪"が、小さな友達の為に利き腕を失くしたのと同じくらいに。
"赤髪"の左腕が海の王に喰い千切られた時、"冷静沈着"といわれる男も、血の気が引くのを感じた。突き付けられた絶望にも似た重く冷たい喪失感が、ズシリと音をたてて落ちてきたのを確かに聞いた。それでも男は狼狽を圧し留め、面に出さないことに成功したのだ。
だがその光景を、男は一生忘れないだろう。忘れたくとも、忘れられない、といった方が正しいのかも知れないが。

「…………ぃてェ」

彼の"赤髪のシャンクス"であったなら、失くした左腕の先が、指先が、まるで其処に在るかのような既視感が、痛いのだと言うのかも知れない。ツキツキと、刺すようでいて、鈍い痛みに思わず男―ベックマンは、右掌で顔を覆い苦笑した。
生きるということは、本当はとても難しい行為なのかも知れない。しかしながら、それをし続けるのにはそれだけの価値があるからだろうか。死という未知の次元が恐ろしく、生にすがりついているだけなのではないだろうか。
だが、生きるという行為は酷く大切なものに感じた。自らそれを放棄するものがいたならば、ただの愚か者でしかないとベックマンは思う。何故なら、終りだからだ。彼の持っている細工が見事なアンティークの懐中時計のように、動かなくなる度に分解して直せるなら、良い。しかし人間は機械ではない。一度死んでしまったら、如何なる手段を取ろうとも、その人が再び動き出すことはないのだ。何とも脆い。それが人間だ。それを目の当たりにする度、ベックマンは言いようのない感情に圧し潰されそうになる。哀しいのか、憤りを感じているのか、解らなくて平静を装う。そんな時にも、何処からか声が聞こえるのだ。
悲鳴をあげている。
本体から切り捨てられたモノたちが、腐り果てる過程の中で、忘れるな、と。失くしたはずの場所から発せられるその痛みは、言うなれば錯覚でしかない。痛む箇所はもう無いのだから。
だがベックマンは身体の一部を喪失したのではない。五体満足で、何の問題も無しにこの船の上に立っていた。だが、確かに亡くしたのだ。生きるために、人は大なり小なり何かを犠牲にしなければならない。ベックマンもそうやって生きてきた。
今まで奪った命の数はもう覚えていない。屍を踏みつけてきたのだといっても過言ではない。初めの頃はまるで取り憑かれたかのように繰り返し悪夢を見たが、今はそうでもない。しかし己の一部だったモノたちはそう簡単に赦してはくれないらしい。

「――忘れてなんか、ねぇ。後悔だってしてねェし、するつもりもない」

事在る度に繰り返す、まるで呪文のような言葉は懺悔か。本当は、後悔しているのだろうか。

「『滅びの山よ、見よ、わたしはお前に立ち向かう』」
「『全世界を滅ぼす者よ、わたしは手を伸ばしてお前を捕らえ』…そうだな、キスでもしてやろうか?」

独り言に返事があったのに驚いて、ベックマンは声のした方を振り返った。そこにはにんまりと笑ったシャンクスが立っており、ベックマンは渋面を作り煙草を上下に揺らすことで不快を表す。気配を消して背後に近寄るな、という牽制でもある。しかし然も嬉しそうに笑うシャンクスには通じていなさそうだと、正確に判断して肩を落とせば、シャンクスはまた笑った。

「"断崖から転がして落とし、燃え尽き"させなくていいのか?」
「いいのさ。どうしたベック、眠れないなら子守唄でも歌ってやろうか」
「結構だお頭。あんたこそ、眠れないのか」

問えば、シャンクスは首を縦に振る。そして、なんか、興奮して、と小さく付け加えた。

「こんな夜だったと思ってさ、俺がお前を手に入れた日は」
「……あんたなぁ」

何となく誤解を受けそうな言い方にベックマンは脱力した。他に誰も居なくて良かったと心から思う。もしかしたら、見張りの奴が耳をすましているかも知れないが。シャンクスはけらけらと声をたてる。


「来いよ、ベック」


笑ったまま、しかし口答えを許さない響きをもってシャンクスが右手を伸ばす。ベックマンは敢えて左手を伸ばした。そして、風に揺れる左の袖を掴まえる。
無いはずの腕を、掴んだ気がして、また痛みを感じた。ツキン、と、何処かが。
ベックマンはゆっくりと袖に唇を落とす。誓うというよりは、許しを乞うように。
シャンクスは何も言わなかった。抱き締めようともせず、伸ばした右手もそのままに、ただ膝をついたベックマンを静かに見下ろしていた。月と共に。

「『それではあなたが王になってください』」

囁いた言葉は誰にも届かない。自分の耳にさえも。
ベックマンは明るすぎる月を見上げた。逆行でシャンクスの表情は見えない。
声は、まだ聞こえる。









END。

何となく書きたくなってつらつらと書いてみたらこんなのになったシャン副シャン。
何故か最近SBSとZSサイトさんをまわってる…。あら?(笑←
引用は、士師記9.14とエレミヤ書 51.25-26。





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