白刃の城book

□甘さ控えめの関係
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夏の終わりというより秋がフライングしたような冷たい空気の夜だった。勇志は肌寒い部屋の空気に一つ息をつく。
外は既に暗く、静かだった。裸足の爪先から冷たいフローリングへと温度が奪われていくのが分かる。何の用意もしていなかったので押し入れからブランケットを引っ張り出して無造作にベッドに放った。
本当は毛布を出しても良かったのだが面倒なのが半分と、また明日から暑くなるのではないかというのが半分だ。この急激な温度の変化に教え子達は風邪をひかないだろうかと心配になった。明日も寒かったら何か温かいものでも買ってやろうか、と財布の中身を確認していると変なリズムで押されたブザーの音に思考を呼び戻された。
驚いて時計を確認すれば夜の十時を回ったところで、勇志はこの非常識な訪問者に心当たりがなかった。怪訝に思いつつも玄関に向かい、鍵を掛け忘れていたことに気付いて勇志はぎくりとする。しかし訪問者は扉が開いてるかどうかに興味はないようで、ブザーで奇妙な演奏をして近所に迷惑をかけることだけに腐心しているようだった。
覗き窓からは暗くて訪問者を確認出来なかったので、仕方なしに不用心にも扉を少し開ける。

「チワーワ」

扉の前にいたのは心亜だった。
驚いてすぐに反応出来なかった勇志を気にすることなく心亜はふざけた挨拶を投げ掛けてくる。心亜はヴェリタスのジャージを着ていたが、スポーツバックの類は持っていなかった。勇志の視線に気付いているだろうに心亜は首を軽く傾げて口を開いた。

「泊めて下さいな」
「帰れ」

間髪入れずに却下したのだが心亜はぱちくりと瞬きしただけでそこから一歩も動かず、勇志はこれ見よがしに大きく溜め息をついた。

「こんな時間に出歩いて、親御さんが心配するだろ」
「親には友達の家に泊まるってもういっちゃったんDeathぅ」

その言い訳はどうかと勇志は思ったがけろりとしている心亜に引く気がこれっぽっちもないことは既に分かっていたので扉を余分に開いて道を開けてやる。勇志は彼の姿を認めてからずっと眉間に皺を寄せていたが心亜はそんなことに気を使う人間ではなく。

「お邪魔しまーす」

扉を押さえる勇志の隣をすり抜けて家の中へと足を踏み入れた。
その挨拶は形式的なもので意味を持たないのだろうな、と小さく溜め息をついた勇志は今度こそきちんと鍵を掛けた。
心亜は部屋の奥に進みつつ色々見て回っているようだった。心亜は五年前に勇志が住んでいた部屋にも当たり前だが来たことはなく、今回新たな住居に訪れたのが初めてだった。
勇志と心亜の唯一の接点である五年前に関連したものはここには何も置いていなかった。半年前にようやくこの市に戻ってきたばかりだ。以前住んでいた場所はもう別の人が住んでしまっていたので、練習場に近いところを優先的に探した。案外すぐ見つかったそこ、つまりここは立地条件は悪くなく、心機一転するにはいい場所だと勇志は気に入っていたのだが、今その場所にそもそもの原因がいる。可笑しな光景だった。
どうやって住所を知ったのだろうと勇志は思ったが尋ねはしなかった。調べようとすればいくらでも調べられるようなことだ。心亜は勇志に多少なりとも興味を持ったのだろう。もしくはただ単に利用目的で調べたか。

「飯は食ったのか?」
「お腹空いてないんでー」

物色に飽きたのか居間の座布団に落ち着いた心亜に聞けば視線も合わせずにそう返ってきた。育ち盛り食べ盛りの年頃がそんなのでいいのだろうかと勇志は自身の学生時代を思い出そうとしたがあまり上手くいかなかった。
しかし来客を全く予想していなかったので特に何も用意はしてない。こんな時間に何か食べる方が体に良くないと自分に言い聞かせて、何か食べるものを用意するのは諦めた。
台所に向かい冷蔵庫を開けると牛乳が結構な量残っていたので、ホットミルクでいいかとマグカップを二つ用意する。洗い物を増やすのも癪なので電子レンジで温めることにした。以前だったら押し掛けてきた子ども達には砂糖多めに小鍋で温めてやったのだが、非常識な訪問者にはそんなに丁寧な対応をする気にはならなかった。そもそもはちみつや砂糖は入れて大丈夫なのだろうか。心亜が甘いものが好きなのか嫌いなのか勇志は知らなかった。しかし特に深く考えず、また尋ねることもしないまま少しだけ砂糖を溶かすことにした。
マグカップ二つを持って居間に向かえば、今度は大きめのクッションが気に入ったのか部屋の端にあったはずのそれを心亜はしっかりと抱え込んでいた。不思議そうに見上げてくる心亜の目の前にマグカップを差し出す。

「ほら、熱いぞ」
「……どーもDeath」

そう言って心亜はホットミルクを受け取りながらちらりと隣に腰を下ろした勇志を盗み見た。勇志は丁度マグカップに口を付けたところで眼鏡がほとんど曇っていた。随分と間抜けに見える。
湯気を放ち白く揺れるマグカップの中身をしばらく心亜は見ていたが、ふうっと息を気休め程度に吹きかけて口に含む。ほんのりと甘かった。




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