白刃の城book
□氷の上のメサイア
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3.
家の中は実に静かだった。
他に誰も居ないからなのかも知れないが、森の動物達の鳴き声さえ聞こえない。ただ、シュンシュンと湯が煮える音だけが静かに響く。
出されたハーブティをチビリチビリと口に含みながら、粗方家の物に眼を通し終えたシャンクスは、今度は自分に背を向けたまま夕食の支度をする男に視線を移した。
和らげな物腰とは裏腹に、薄い色付きのレンズの向こう側にある視線は鋭い。警戒心だけではない敵意にも似た感情を認めて、それでもシャンクスは男が料理に毒など盛らないことを確信していた。こういうタイプは大体に於いてプライドが高い。毒殺などという行為に安易に手を出す確率は低いだろう。計算に計算を重ねて、やっと毒を飲ませる…ということなら別だが、シャンクスはこの男と初対面なのだ。
そこまで考えて、シャンクスは漸くこの沈黙を破るべく口を開いた。
「そういやぁ、アンタ、名前は?」
そういえば、まだ互いに名乗ってもいないのだ。男もそれに気付いたのか、一度だけ振り返って名乗る。
「あぁ、これは失礼を。クード・ラル・メルバスです」
「俺はシャンクス。その名だと、生まれはここら辺じゃないだろ?」
「ええ、もっと西の生まれです」
クードは口を動かしながらも手も止めない。鍋の中からは食指を促す良い香りが立ち上ってきた。
「アンタ、医者?」
「何故?」
素早い返答に、シャンクスは心持ち口端を上げる。否定でない返答は肯定を表すのだと考えるようになったのは幾つの時だったろうか。
「俺を見たとき、健康状態云々言ってたろ?それに、あのハーブティ、薬にもなるって聞いたことがあるからよ。
ンで、そこに植わってる花は確か、西の国で医療用に育てられるモンだった覚えがある」
淀みない答えに、クードは感嘆する。そして、面白そうに笑った。
「素晴らしい、その通りです。流石だ。
――ところで、他の方々はどうなさるんです?お恥ずかしながら、私が用意出来るのは貴方の分くらいだ」
「いや、構わねぇよ。
―って、俺、あいつらのこと言ったっけ?」
「先程、俺たちと仰ってましたし、貴方は隻腕だ。一人で船旅は難しいでしょう」
それに、とクードは続ける。
「足跡が、貴方以外にも少なくとも二足分、ありましたから」
なるほど、と今度はシャンクスが感心する番だった。つまりはあの短いやり取りの中で互いに腹の探り合いをしていたわけだ。自分よりも副船長向きの相手かも知れない。そう思って苦笑した。
「そうだ、あのさ、癖のある、背中までの黒い長髪のヤツ、見なかったか?背は俺より少し高くて、無愛想な面してんだ」
「尋ね人ですか?さぁ…此処には滅多に人が来ない」
「ん、俺の相棒(パートナー)。この俺が一目惚れしてワザワザ迎えにいった程なんだぜ―」
何を思い出したのか、ニヤニヤとしだしたシャンクスに、それでも顔色一つ変えずにクードはへぇ、と頷いてみせる。
ベックマンが此処に居たなら拳を震わせて怒気の含んだ声でシャンクスを黙らせただろうが、幸か不幸か彼は此処には居ない。
「…出来た。さぁ、冷めない内にどうぞ」
クードが出来上がった料理を机に並べた。メインは魚料理だったが、船の上で食べるものと違い、二人分という少ないものだからなのか、随分と手がこんでいた。ただ単に、シャンクスの船にコックが居ないからなのかも知れないが。
トマトのサラダにカナッペ、クリームスープ、それから河魚のソテー(名前は聞いた側から忘れた。アがついた気がする)…と、シャンクスにとっては少々お上品なメニューだが、出して貰うものに文句はない。それに、口に運んだ料理は、どれも旨かった。
「その…男性ですが、」
「ング?ムァ、フグエムンォウン?(んん?副船長?)」
「……どんな方ですか?頭がキレる?腕がたつ?それだけなら他にも幾らでもいるでしょう?」
もごもごと口一杯に頬張ったまま喋ろうとするシャンクスをスルーして、クードは小さく首を傾げた。男には似つかわしくない動作も、流れるような優雅な動きに加え、どちらかといえば中性的な顔立ちの彼には似合っても見える。
シャンクスは口の中のものをごくりと飲み下すと、思案するように顎髭に手を伸ばした。
「大切な、方ですか」
クードはより鮮やかな琥珀色の瞳を、探るように見詰めた。シャンクスは視線を反らしたりしない。獣の世界では、視線を先に反らした方が各下と見なされることを、本能で解っていた。
「――そうだなァ。あいつは俺の船の、副船長だよ」
そしてそれ以外では有り得ない。あいつもそれ以外を望まない。
言外に強く主張して、シャンクスは大きく笑った。今までで一番柔らかい笑みだった。
そうですか、と呟いた声の柔らかさに反して、眼鏡の奥の翡翠色の瞳がスッと細まるのをシャンクスは見たが、何も言わずにまた料理を胃に掻き込む作業に戻る。
「今夜はお泊まりになられますか?」
「ンにゃ、そこまで迷惑はかけられねぇよ、ありがとな」
「お話が出来ると思ったのですが…」
さも残念そうにうつ向いたクードに苦笑いして、シャンクスは明日は?と訊ねた。
「医者なら、俺なんかよりもうちのドクターと話せばより盛り上がるんじゃねェ?暇なら寄越すぜ。うちのドクに色々教えてやってくれよ」
「それは――嬉しいですね」
「ハハ、んじゃ、決まりな」
帰ったら言っとく、とシャンクスは出された料理をきれいに平らげ、すっかり冷めてしまったハーブティを飲み干すと立ち上がった。
「ご馳走さん」
「お粗末様でした」
旨かった、とにんまり笑ってから扉に手をかけたシャンクスをクードが呼び止める。ン?と振り返ったシャンクスに、クードは一拍置いてから、口を開ける。
「水は、此処から南に少し行ったところに湧水のきれいな泉があります。木の実は、その泉から東北に5分くらいの場所に、赤い実がなっていて、それは食べられますよ」
「…サンキュ。じゃあ、良い夜を」
「あなたも。Gute Nacht」
暫く背中に視線を感じながら、シャンクスは森の闇に紛れてゆっくりと気配を消した。
クードは闇を見詰めて、小さく息を吐くと家の中に戻る。錠をかける音が聴こえて、また辺りは静寂に包まれた。耳をすませても人の話し声は聞こえない。
気のせいだったのかと首を傾げて、シャンクスは船へと歩き出した。
* * *
「お――、遅かったなお頭」
迎えたのは先に返したルウだった。それに右手を軽く上げて返して、シャンクスはドクターを呼ぶ。それからルウに成果を訊ねる。
「何か見付かったか?」
「泉を見付けた。あとは何も。大人しいモンよ。そっちは?」
「あの家では一人しか会ってないな。でも、隣の部屋に"何か"居た」
何かは解らなかった。人間にしては意識というか覇気がない気がした。動物にしては警戒心がない。
「呼んだか、お頭」
シャンクスの思考を遮ってひょこりと顔を覗かせたのは、この船の船医であるだアルファードだ。シャンクスよりも年上でボサボサにも見える頭を無造作に掻き上げる様は海賊よりもホームレスに見える。まぁ、大差ないが。それは白衣が薄汚れていることよりも体が薄く見えるのが大きいだろう。しかしこのアルファードも海賊の端くれだ。船医という立場から、前線に立つことはないが、戦いに身を投じれば、そこらの下手な海賊よりも良い動きをする。
「よォアルフ、島に人間を見付けたぜ。クード何とかとかいう男、しかも医者だと。約束を取り付けておいたから、明日何か話してこいよ」
「ふむ…陸の医者ねェ」
「でも気をつけろよ。あいつ俺のこと、多分知ってる。なのに何も言わなかった」
口を滑らせたのだろう、流石―というあの一言が引っかかった。クードはシャンクスを"赤髪"だと知っているのだろう。シャンクスの尋ね人が男―ベックマンだということも知ってるようだった。そりゃあ、シャンクスよりも背が高いという女は少ないだろうが、きっぱりと一目惚れしたと言ったのだ。なのに彼は男性だと断定をした。
「それにあの、深紅の花――…、俺の記憶が正しければ"Gotters Bulut(神の血)"だった。でもアレは強い副作用が伴うから"Gottes Tränen(神の涙)"がなければ使用を禁止してるはずだ。でも、青紫の花は見える範囲にはなかった」
「詳しいな、お頭…」
驚いたようにアルファードが眼を見開く。はっきり言って、シャンクスがそんな知識を持っているとは思わなかったのだ。だがシャンクスはチロリと下を出してあっさりとネタバレをした。
「ベックの受け売り」
前に、そんな話を聞いたのだというシャンクスに、これまたあっさりとアルファードは納得した。ベックマンなら知っていても可笑しくはない。それでもやはり、シャンクスがそんなことを覚えていたことには驚いたのだが。
「あと、何かの匂いがした。俺には何だか解らなかったが、甘い、あまり気分的に良くない感じの」
ハーブティやら料理の匂いで大分誤魔化されてしまったが、シャンクスの警戒に引っかかったらしい。アルファードは神妙に頷くと、アンタも気を付けろよ、と返してまたフラリと船の中へと消えていった。
シャンクスはデッキの上で空を見上げる。何時もよりもずっと静かな空間の中、星は変わらずキラキラと瞬いている。何だか無性にあの煙草の臭いが懐かしく思えて、シャンクスは拳を握った。
「早く、早く戻ってこい」
小さな呟きは波に飲み込まれて、すぐに闇に消えていった。
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長くなった…。
話は進んでないのに…orz
シャンクスが思ってたよりもかっこよくなった(笑)