白刃の城book

□氷の上のメサイア
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4.



吐息の合間に漏れたのは違和感だった。
其所に存在する筈のものがなく、空虚が占める空間に在るべき筈のものを認めようとして、失敗する。幾ら思考を整理しようとしても、霞がかったように不明瞭で、頼り無かった。
今までこんなに自我が頼り無かったことはない。更に言えば、感じた空虚がこれ程寂しいものだと思ったことさえなかった。
視界は闇に沈んでいる。布でも巻かれているのだろう、眼の周りの違和感は存外に優しく、力の入らない体を横たえるベッドはスプリングがきいている。捕虜にしては随分と待遇が良い。そう遠くで思いながら、思うように動いてくれない役立たずの思考を投げた。
闇と己の間に確実にあるはずの境界さえ見い出せない思考に苛立つ前に、ブラック・アウト。
完全に闇に溶ける前に、誰のものか解らないのに、焦がれた声が聞こえた気がした。






* * *







シャンクスは夜が明ける景色をじっと眺めていた。
水平線の向こう側から顔を覗かせた太陽は、辺りを侵食しながらじわじわと全貌を現していく。
シャンクスはそれを美しいと思った。自然の摂理を見事に表した、自然の芸術。闇はこの時間、光に勝てずにただ飲み込まれないよう姿を消すしかない。光が総てを支配する瞬間。しかし闇は飛散し、小さくも何処にでも潜んでいる。この均衡が、壊れることはない。
シャンクスは赤い髪を掻き上げると、右手に持っていたカットラスを太陽に向けて掲げた。それは宣戦布告にも似た威風堂々としたもので、嬉々とした雰囲気さえ感じられる。
雲の隙間から射す光は天使の階段のような、一枚の絵画にも見えた。


「"Soyez prets."
さぁて、そろそろ愛しの副船長殿を迎えに行くかね」


舌舐めずりをすると、シャンクスは踵を返し、船長室へと戻っていった。
蝋燭に火を灯し、硝子のケースに入れる。モノは銅だが、細工は細かい海の龍(リヴァイアサン)のもので、瞳には親指の先程もあるルビーをあしらってある。海のうねりは銀細工で、小さなブルーサファイアが散りばめられている。火を灯し、闇の中に置くと、壁に海とその主が浮かぶという、シャンクスのお気に入りの一つだ。
それを満足そうに見てから、シャンクスはベッドサイドの籠の中からこの辺りの海図を取り出し、何やら書き込み始めた。
やがて、朝が来る。







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