うしろの石田くん

□うしろの石田くん@
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ipodを下げた私の足は軽やかだ。
約2週間ぶりにお日様の下にさらした布団の寝心地の良さといえば格別で、10時間睡眠の日曜日のように爽やかな気分で目を覚ました私は朝ごはんもそこそこに、部屋の隅に放っておかれた燃えるごみを収集場に投げ捨てて学校へと向かう。
流行りの歌は知らない。私の白のipodに入っているのはアニソンとゲームとサントラと、数年前に流行った懐かしいJ‐POPがせいぜい。
住宅街を抜けると同じ学校の制服を着た子たちがちらほらと見えてくる。私のようにひとりで歩く子は少ない。友達と数人で話しながら歩く子、彼氏と歩く子、どでかいかばんをぶら下げて部活に急ぐ先輩後輩。誤解がないように言っておくと、別に私に友達がいないってわけじゃない。私の友達は全員電車通学なので、私の登校時間より早く学校についているというだけだ。いや別にさびしくないから。リア充爆発しろとか思ってないから。別に泣いてないから。
私の高校は丘の上に立っており、正門に行くには急斜面を歩かなければならなかった。
私も1年の時はこの坂を毎日ヒィコラ言いながら登っていたものだが、甘い。実は私は2年になったある日、とてもいいことを発見したのだ。

校庭をぐるりと囲むフェンスと巨木達、その間に格子の扉があった。
開校当時からあると思われるその扉は錆びつき螺子が緩み、ちょっと力を加えただけで私に簡単に道を明け渡す。遠すぎる校舎と郊外をつなぐ、正門・裏門以外のひみつの登校手段だ。
もともとこの扉は主に校庭を活動の場にする運動部の連中にはよく知られた存在だったが、彼らはとりわけこの扉を秘密にしたがった。坂から門まではかなりの距離がある。不審者を校舎外に入れないために造られた工程の扉が容易に開けると知れれば、その扉は教師達の手によって未来永劫使用不可、ぴかぴかの真新しい丈夫な錠前が付けられること必死だったからだ。

文化部の私がこの扉の存在を知ったのもたまたま。夕暮れ時学校に忘れ物を取りに戻った際、運動部の子たちが扉からこっそり抜け出しているのを見たというだけ。
急な坂を苦い面持ちで進む生徒たちの群れからそっと離れた私は、その半ば運動部特権とも言うべき扉を使い、今日も今日とて快適に校舎へ向かう。見つかれば大目玉ものだが、嬉しいことに私が校庭を抜けるこの時間帯に運動部の生徒も、顧問の姿もない。皆流れる汗を拭いて、制服に着替えているのだろう。

昇降口に行く途中、校庭と校舎の間にぽつんと小さな建物がある。瓦の屋根に白塗りの壁、黒い格子模様の日本家屋を連想させる建物は異様な存在感を発揮している。剣道部と弓道部が合同で使っている道場である。去年改装が済んだばかりのガラス張りの校舎のとなりに建つにはその道場は少浮きすぎている。

そしてHRまであと30分もないというこの時間に、竹箒を片手に道場前を清掃する袴姿の男子生徒がいた。
銀糸の髪とすっと細い顎、光彩鋭い切れ長の瞳がいかにも神経質そうな雰囲気を醸し出す彼の名前を私は知っている。

「おはよう」

彼の真横を通り過ぎながら私は声をかける。彼は毎朝きまってこの時間に道場の前を掃除している。
私が扉を使って登校するようになってから、彼を見かけない日はない。晴れの日はこうして竹箒で砂利を避け、雨の日は風で飛ばされて道場の壁に張り付いた葉っぱを取り除いている。他の部員が掃除をしている姿を見たことはないのだが、掃除当番制は彼の部にないんだろうか?

「ああ」

竹箒を動かす手を止めることも、私の顔を見ることもなく、彼はそっけなくそれだけを口にした。
気分が悪くなるなんてことがあるわけがない。私も彼の姿は視界の端に入れている程度だったし。



そうして私が坂に苦しまれずに登校し、クラスの自分の席について隣の席の女の子と今日の課題の範囲を確認し合う、ちょうどそんなHR5分前きっかりに、袴から制服に装いを変えて道場前にいた彼が姿を現すのだ。
彼に声をかける生徒はいない。皆教室の扉が開いた音に気をやってそちらに目を向けるが、現れたのが彼だと認識するとすぐに興味なさげに視線を外す。彼はそれを気にした素ぶりもない。
壇上をすぎ、私の横を通り過ぎ、彼は私の真後ろの席の椅子を引いて彼は腰を落ち着ける。ごそごそとかばんを漁る音が聞こえる。

毎朝道場前を掃除する彼を無視することもできる。だが私はそうはしない。クラスメイトに愛想を悪くする利点がないからだ。たとえそれが友達でなくても。
次の学年に上がってクラスを替えるまで長いのだ。何後もなく1年を過ごしたい。私が挨拶をするのはただそれだけのことだった。

彼の名前は石田君。
私のうしろの石田君。

下の名前は忘れてしまった。彼の名前を呼ぶ機会などない。
今後もありはしないだろう。
今日放送のアニメが早く見たい。


 
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