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□冬
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こげは健在だった
後始末しなかったんだろう、くっきりと黒くなっている床
「なにのむ」
「なんでもいい…です」
台所に消えた後ろ姿とこれ以上なく緊張する俺
「はい」
めのまえに差し出されたのは灰皿で俺はびっくりする
「近藤さんたばこ」
「すわないよ」
「なんで」
「トシ用」
だって、だって俺はここに一回しかきてないじゃねえか
「ん」
ぐらぐらと視界がゆれてやっとの思いで灰皿をうけとれた、うれしかった
「コーヒーをいれてみました」
インスタントですけど、といい、テーブルの上にカップをおく、あのときはつめたい麦茶、今日は湯気がたつカップ、ああ、そんなにたつんだなあ、とおもった
「いただきます」
コーヒーはうすくてあったかかった、もっとも味なんてわかる状態じゃなかった、けど
俺は灰皿がうれしくてうれしくてそんなことでうれしがってる自分にひいた
「推薦て」
「ああ、一応まだ試験はあるけどね、大学いくんだ」
「そう、ですか」
「笑っちゃうよな、俺、警察になりたいんだ」
がはは、と笑うけれどちっともおかしくなかった、ぴったりだ
「知らなかった」
「うん」
「なんで警察」
「日本まもるの」
うふふ、と肩をゆらしコーヒーをすする近藤さんはしらない近藤さんじゃなくてしってる近藤さんで間違いなく俺に必要なひとだった
「トシは夢ないの」
「ない」
「まだ一年あるもんな」
「…」
「…」
ぼんやりと床のこげをみる、なんか、わるくなかった、苦しいのも悲しいのもつらいのも、わるくない気がした
「むかつかないんですか」
「なにが」
「男にあんなことされて」
「…むかつかないよ」
また両手で口でもおさえるかと思ったら近藤さんは下むいたまま笑った
「トシは俺がなんにも考えてないと思ったの」
「や、…」
「いつも通りって難しいな」
ああ、やっぱり俺はこの人苦しめてた
「こげ、みるたび考えてみたけど」
「…」
「ちがう、せめるとか怒ってるとかじゃなくて」
苦しめるなら怒ってくれたほうが百倍ましだった
「なんていうか」
がしがし、と頭をかきむしって近藤さんはわかんねえや、といって笑った、わかんないほうがいいのだ、考えたって無駄、すきとかそういうものを分析しようとするほど愚かなことはない
「卒業、しないでください」
「無理いうなよ!」
「だぶればいい」
「ますます無理いうなよ!」
「して、同じクラスになって」
馬鹿だ、馬鹿なのはわかってる、しってる、無理なことだらけで笑える、でもそんな馬鹿なことを毎日毎日毎日本気で願ってるんだ
「だいじょぶだよ」
大きな手が俺の頭をなでる
「だいじょぶだよ、トシは、だいじょぶ」
なんにもしらないんだな、俺がどんなに弱いか、愚かか、アンタがいなくなるって現実をうけいれたくなくて頭がおかしくなりそうなのに
「しあわせものだよ、俺は」
アンタがしあわせならそれでいいと、いえればどんなにいいか
「自分でなにしたいのかどうしたいのかわかんねえ」
「灰皿さあ」
「…」
「結構悩んで買ったんだ、どれがいいかなとか考えながら、またトシがここにくるかどうかもわかんないのに」
「…」
「買ってよかった、トシのために、買ってよかった」
俺はゆっくり顔あげて近藤さんをみた、みたことない顔、笑ってた、だいすきだなあと思った、なんか、本当にすきだった
しあわせでしあわせで、ほんとにしあわせで、すきだった
「俺が」
「うん、トシならまかせられる」
「俺が、部長」
「そっ」
「近藤さんがつくった剣道部の部長」
「ああ」
「…」
俺は副部長だったし、べつに不自然なことではない、ないけど、俺にとってめのまえの近藤さんはリアルで副部長になる俺とか、卒業する近藤さんとかはリアルではなかった、
「俺が卒業したら、さびしい?」
「…べつに」
素直になれるならなんでもする、つまらないプライドをすてることができるならなんでもする、この人に俺はキスしたいわけではなくて、ただ、いいたいだけなんだ、何回も何回も望んだけれど
「つめたいなあ」
やっぱり俺は俺だった
おわり