+キカの過去+



段々と、キカの過去についてお話します。
(長いのでご注意を笑)


まず、生れ落ちたその瞬間、私は奇形児として生まれたの。

指が片手づつ、一本多かったの。

まぁ、それは手術でなんとかたって健常者と一緒に暮らす、
なんら変わった事のないような幼少期を過ごしました。

ところが、母いわく私は幼少のころより
自分に壁をつくってたみたい。
それは親戚のおばさんから聞いた話でも、
人によって態度を変える、なんて計算高い子なんだ。
と思われてたらしいです。

母が気づいた時…物心ついた時には、もう母を拒絶して、
手をつなぐなんてもってのほか!
って感じだったみたいです。


私が今でも鮮明に覚えているのは
みんながご飯食べてる中、
縁側に正座させられてたんです。
もちろん夕食はナシです。
釘とか超出てて、
座るには困難な場所でした。

小学生の時に、彫刻等を投げられたこと。
夜中、寝ている間に髪の毛を切られた事。

小学生ですから…殺されるかもしれないと重い、強い危機感に教われました。

殴る、蹴るはあたり前です。

暑いお茶をぶっかけられたり
みかんを投げつけられてびしょびしょ大惨事になったり…

それから、夏休みや冬休みなどは、まるまるその期間だけどこかの施設っていうか団体?に送り込まれておましたね。

あとショックなことといえば、
高校生の時にボディピアスをしてたのですが、それを引きちぎられた事ですかね。
相当痛かったし、学校に行こうとしたときだったので服はそのままで行きましたが、
かなりの出血だったため、制服にも痕跡が…。

まぁ、もちろん私はほかの兄弟と比べ、遊び方が危険でした。

でも、それで家に帰ると母からの執拗な言葉の暴力を浴びせられて…
しまいには殴る蹴るの暴行。

そのうち暴力には飽きたようで、
私の鏡を叩き割り、その破片を投げつけたりされてまそた。

一度それで、顔が血まみれになりましたよ。

きっと、PTSDの要因の一個かな。
それと、もうひとつ
夜中の髪きっちゃぞ事件からですね・・・。

精神的にものすごく不安定でした。
高校の時、離人症が出てきて悪化の一途をたどりました。
人を人と思えず、クラスの子がみんなアンドロイドに見えました。
授業中や友人と出かけた時など、離人症の症状が強く出ました。
これはPTSDが発祥するととてもかかりやすい病気なのですが。


ある日、私が何か悪い事をしたのかわからないですが
母が私に包丁を突き刺して言いました
「お前なんか生まなきゃよかった。殺してやる」
って…。
殺されそうになったのを必死で制しました。

これも、おそらく
PTSDの要因になりえます。


高校を卒業してすぐ東京に帰ってきました。

それから約10年の離れて生活し、
やっと母との関係も
良いものになりつつあったのですが

先日、ヒドいことをされ、
また振り出しに戻ってしまいました…。

あまりにひどいことをされたんで、怒りがおさまらなくて…

両親の寝室の障子に火をはなってやりましたよ(怖)

火柱がぐあーっと広がって、
天井まで焼け焦げて…

しめしめって感じです。。

でも本格的な家事になりそうだったので
すぐ父を呼んで鎮火してもらいましたけど。

中学、高校の時はとにかく荒れてました。
無免許で車乗ったり、
マリファナや覚せい剤にもほんの少し手をだし…
万引きもかなりやりましたし、
高校の時にキャバクラで働いたりしました。

とにかく離人の症状がヒドくて、
PTSDの初期段階で発祥しやしいらしい、
DID(解離性同一障害)もヒドく、
救急車で運ばれたんですが、
その時暴れないように拘束されましたし…。

つまりは母からの虐待、父の不在によって私は病気になりました。

その親への憎しみはまだ消えていません…。

時間がかかるのはわかっていますが、


いつか母と分かり合いたい。。。
そう思っています。

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