short story
□eve's letter【前】
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あの悪夢を忘れはしない。
忘れてはならない。
eve's letter【前編】
「イブ、またこんな所にいたの?」
陽だまりの中、茂みをかきわけてやって来たのは妹のドミだった。
「早く水を汲んで戻らないと。またおばさまに叱られてしまうわ……」
「少しくらい平気だよドミ。こちらに来てご覧、ウサギが巣を作っているんだ」
僕が手招きすると、途端にドミは天使の様な笑顔を浮かべる。
「本当!?兄さん見せて……わぁっ、可愛い!」
ドミニク・ホロウ・オズホークは僕の妹だ。
二つ違いの僕と同じ漆黒の髪、神秘的な紫の瞳。
彼女が笑うと、昼間でさえもまるで星々が煌めくようだった。
ドミ、ドミ。
僕の愛しい妹、病弱だけど心優しい唯一の家族。
きみが笑ってくれるのなら、僕はいくらでもこの身を投げ打とう。
「どこほっつき歩いてたんだい!!仕事はどうした!」
水桶を手に家へ戻ると、養母のアガート・クレーは戸口に立ち凄まじい剣幕で怒鳴った。
「掃除は、洗濯は、食事の用意は!?育ててもらった恩義を返そうとは思わないのかい!!」
「……はい、今すぐに。クレーさん」
いつもの様に、僕はマダム・クレーの罵り声を浴びながら家に入る。
「まったく可愛げの無い子だね!少しは懐いたらどうなんだい!……あぁ、お前は別だよドミ。早く着替えておいで」
「……はい、おばさま」
ドミは僕に悲しげな視線を投げ掛けると、自分の部屋に戻っていった。
「イベルト、捨て子だったあんたらを拾ってやったのは誰だと思ってるんだい?あたしらが見付けなきゃとうに狼の餌になっていただろうさ」
「おまえ、そんな言い方をしなくても……」
アガートの夫、コブがベッドから弱々しい声をかける。
彼は数年前に腰を悪くしてから働けず、ずっと寝たきりだった。
「あんたは黙っといてくれ!イベルト、さっさと終わらせて飯を作りな」
「……はい、クレーさん」
僕は水瓶に汲んできた水を移しながら大人しく返事をする。
僕らは昔、赤ん坊だった頃に森の中で捨てられていたらしい。
クレー夫妻はそれを拾って育ててくれたのだから……感謝している。
僕はともかく、体の弱いドミさえちゃんとした寝床と食事が与えてもらえるなら、僕はそれだけで良かった。
いくつかの春が過ぎ、僕は十四歳、ドミは十二歳になった。
「兄さん、家を出て行くって!?」
ドミが青い顔をして僕の所へやって来た。
「ああ、おばさんに勧められたんだ。となり町にあるお屋敷で、住み込みしながら働いてお金を稼ぐんだよ」
「嫌よ……そんなの嫌!」
ドミは僕にすがりつき、声を上げて泣き出す。
「兄さんがここを出ていくのなら私だって一緒に行くわ!お願いよ兄さん、一人にしないで!」
「ドミ、いい子だから」
僕は泣きたいのを我慢して妹をなだめた。
「この間、おじさんが亡くなっただろう?僕はずいぶん大きくなったから、ドミ達のためにお金を稼いで来るよ。だからいい子で……ね?」
ドミの頭を撫でながら顔を覗き込むと、ドミは紫の瞳に涙をためながら僕を見上げる。
「……いつ帰って来るの?」
「そうだなぁ……お休みの日には必ず帰って来るよ。ほら、顔を拭いて。安心して待っているんだよ」
ドミの顔を袖で拭いてやると、ドミはやっと笑顔を見せた。
「きっとよ、早く帰ってきてね兄さん!」
「もちろん、可愛いドミ」
そう言って、僕は微笑みを返した。
「行ってきます。おばさん、ドミをお願いします」
出発の日、僕は養母に頭を下げた。
「しっかり稼いで来るんだよ」
ドミの肩に手を置き、マダム・クレーは頷く。
「兄さん、体に気をつけてね!手紙を送るわ!」
ドミはいつまでも、いつまでも手を振っていた。
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