NOVEL

□おいしいココアの作り方
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いつものように部室の扉を開けると、ふわり、甘い香り。

「あ、涼宮さんは来てないんですね。古泉くんもまだなんです」
俺が去年えっちらおっちらと持ってきたストーブのおかげか、部屋の中はほんのりと暖かかった。
体が部室の空気に包まれていくのを体感温度で感じながら、嗅覚を少し意識してみる。……甘い香り。
いつもとは違う部室の匂いに疑問を持ちながらも、俺の視線はばっちりとSOS団の唯一の癒しであり専属メイドでもある朝比奈さんのエンシェルスマイルを捕らえていた。今日も可愛らしい。
俺としてはいつまでもその姿を目に焼きつけ、そのふわふわとした空気と一体化することで世の中のゴタゴタや排気っぽい空気、更に言えば世界的な問題までもを無かったことにし、心身ともに洗われた気分に浸っていたいところだがそうもいかない。とりあえずは部室を見渡し、イレギュラー要素がないかチェックする。
なんだかんだでハルヒ達、いわば非日常とは長い付き合いだ。知らず知らずのうちにこんなことをするようになっちまった。
だが目に入ったのはいつもの部室の風景。長門が置物みたいに身じろぎひとつせず読書していたが、それはいつものことなので「部室の風景」に含めることとする。
そして視線は一周し、朝比奈さんのもとへ。
随分とまわりくどくなったが、俺はパイプ椅子に腰掛けながらやっとこさ冒頭の疑問を声に乗せた。
「今日はお茶じゃないんですか? 甘い匂いがしますけど」
軽い気持ちで訊いたのだが、彼女としては余程訊いてほしかったことらしく、笑顔をいっそう明るくしてメイド服とやわらかそうな髪を揺らした。
「ふふ、気付きました? これはね、美味しい……とっても美味しいココアなんですよ」
よく見てみると、確かに粉末ココアのお徳用パックが湯飲みのそばに置かれていた。いつもやかんが置いてあるコンロには牛乳を温めたと思われる鍋。……一度部室を見渡したつもりだったのだが、やはり朝比奈さんのそばのものは霞んでしまうらしい。
なるほど、これはココアの香りか。だが何故いきなりココアなのだろうか。わざわざ強調した『美味しい』という一文も気になる。
「昨日雑誌で『おいしいココアのつくり方』っていうのを知ったんです。もう寒くなってきたし、いいかなって」
ココアをいれるには不釣合いな湯飲みとスプーンを手にとり、こう作るんですよ、と実践してみせた。
まず始めに温めた牛乳を少しだけ注ぐ。そこに粉末ココアを入れてかき混ぜると、少量の牛乳に溶けてココアはペースト状になるわけだ。そこにまた、温めた牛乳を飲みたい分だけ注ぐ。そして軽く混ぜる。以上。
こうすると粉がよく溶けておいしいココアが出来上がるらしい。
朝比奈さんはその作ったばかりのココアを俺の前に置いた。その俺はといえばすることもないので、他の団員がくるまで朝比奈印のココアをすすりながら彼女の言動を見守り、目の保養に努めることにした。
彼女は休む間もなく、いままで機械的にページをめくり続けていた長門のもとへ自ら近寄った。緩んでばかりいた顔が緊張したように引き締まる。長門にはすでにココアが支給されていた。
「なっ長門さん、おかわり要りますか?」
長門は顔をあげることなく答えた。「いる」
その平坦な、呟きにも似た声を聞くと、朝比奈さんはふっと顔を緩めた。
長門が苦手だという朝比奈さんにとっては、おかわりが要るか否かを訊くだけでも緊張するらしい。
はぁい、と甘い返事をして踵をかえした彼女だったが、すぐに小さな悲鳴がきこえた。
「きゃっ?」
ぼうっとしていただけの俺の体もつられて小さくはねる。
長門が朝比奈さんのメイド服を掴んでいるのだ。顔をあげ、しっかりとメイド姿の少女を見つめながら。
朝比奈さんが恐る恐る振り返ると、二人の視線が交差した。
「なんですか……? 長門さ、」
「おいしかった」
台詞をさえぎり一言そう述べた長門は、まっすぐと相手の瞳を見つめながらずらずらと言葉を並べていった。
「有機生命体の概念では、おいしい飲み物というものは作り方に工夫をすることで出来ると言われている。でも、その他にもうひとつ飲み物が美味しくなると言われる方法がある」
「は……い…………?」
目を丸くして長門の視線に捕らわれたまま返事をする朝比奈さん。
服をつかまれたままなので体が中途半端に捻られていた。
「それは『愛情をこめる』という方法」
長門がぱちり、と瞬きをした。
「だからあなたの淹れた飲み物はおいしい。このココアにも、愛情が入っている」
言い終えると同時に手を放す長門。視線は活字の世界へ戻る。
いきなりの解放に驚いた朝比奈さんは数秒ほどおろおろしてからやっと状況を飲みこみ、こんどは緊張することなく、いつもの笑みで長門に言葉をむけた。
「おかわりでしたね。愛情、いっぱい入れます。……たくさん飲んでくださいね」
SOS団の面子が揃う頃には、今日開けたばかりだという粉末ココアは牛乳と一緒に長門の胃袋におさまっていた。
あとから来た二人には、朝比奈さんの「ココア切らしちゃって。すみません」という謝罪と共にいつものお茶が支給されたという。

end.

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