この衝動は一体何だ。
誰にもきっとわからない。
ただただアクセルいっぱい速度を上げて慈郎は闇の中を走り続けていた。















逃げても追いかけないから
















遠くまで来てしまった。
と、ぽかんとした表情でようやく我に返った。
ここがどこか、なんてそんなこと慈郎にとってはとてつもなくちっぽけなことに思えた。
足下にあるさらさらとした砂は、慈郎の進行を妨げるばかりでちっとも素晴らしいものには感じない。
向こう側から聞こえる細波の音こそ今、慈郎を呼んでいる。
ふらふらと砂にもたつきながらも徐々にその波の方へと駆け寄った。
空も、砂も、海さえも。
今の慈郎の瞳には、はっきりと姿を映さなかった。


「…丸井くん。」


慈郎は力なく呟くと、ガクリとその場に膝をつきうずくまってしまった。
午前3時40分。
辺りに人影は全くない。
そこには空と、砂と、海と、そして慈郎が乗ってきたド派手な単車。
慈郎はひとりぼっちだった。













ばちん!

凄まじい音が講義室全体に響きわたった。
学生達はたった今聞こえた音の出所へ我先にと視線を送る。
そこにはよく目立つ赤髪の男と金髪の男が立っていた。
昼休憩に入り学生達が賑わい始めたちょうどその時だった。
金髪の少年とも思えるような顔をした男が、赤髪のいわゆるイケメンと呼ばれていそうなその男にビンタを食らわしたのだった。
見た感じ明らかに不意打ちで、眠そうな目の上の眉間に皺を寄せて怒っている金髪に対し、殴られた側の赤髪の方は何が起きたのか全く状況を把握していないといった様子で間抜けな表情をしている。
少しして、ようやく自分の身に何が起きたのかを理解した赤髪は声を荒げ反抗した。

「慈郎!てめぇ何すんだよ!」

今叩かれたばかりの彼の頬は赤く晴れ上がり、更に怒りによって顔全体も真っ赤になった。
しかし怒鳴られた方の慈郎と呼ばれた金髪は、それに負けないくらいの深い怒りを腹に持っていて、ちっとも動じた様子はない。
こんなんじゃ気が済まねぇ。と呟いて視線を離さずずっと赤髪の彼を睨みつけている。

「…丸井くん、浮気しねぇってゆった。」
「は?」

丸井は一瞬、慈郎が何と言ったたのかわからなかった。
むしろ、慈郎の口からは決して聞きたくなかった単語が聞こえたので、彼は耳を塞ぎたくなった。
そうなったのも、その言葉に対してやはり何かしらの後ろめたい気持ちがあるからな訳で。

「もう浮気はしないっつったのに…!」





先日慈郎は、丸井とデートの約束をしていた。
デートといっても大抵お互いの家でのんびりしたり、テニスコートで打ち合ったり、大学生になった今でも中高生の頃と大きく変わらない。
同じ大学に入ったからか、校内で一緒にいることがよくあるので、最近では特にデートというものをする事がなかった。
久々だったので少し遠出でもしたいなぁと慈郎は内心ワクワクしていたのだ。
しかし。
前日になっていきなり丸井がその約束をドタキャンしたのだ。
もちろん慈郎は食い下がり、理由を追及した。
するとその際に丸井は緊急でバイトの召集がかかった、と慈郎に説明し、丸井のバイト先が現在人手不足で、新人が入っては辞めていくという状態であることを日頃愚痴として丸井の口から聞いていたのでよく知っていた慈郎は、さすがに諦めるしかなかったのだ。
結局。
当日暇になってしまった慈郎は、丸井のバイト先に顔を出すことにした。
丸井もまさか慈郎が来るとは思わないだろう、と慈郎は丸井を驚かすつもりでちょっとした悪戯心にウキウキしながらそこを訪れた。
だが、これが失敗だった。
バイト先に到着すると、丸井の姿が見当たらない。
おかしいと思った慈郎は他のスタッフに丸井のことを訊ねた。
返ってきた答えは慈郎を震撼させるものだった。

「丸井?あぁ、今日出勤だったんだけど合コンするからって違う奴と交代したはずだよ。」

慈郎は無理矢理場所を聞き出し、人の目もくれず店を飛び出した。
信じたくなかった。

言われた店に着くと、ちょうど団体が店内に入ろうとしているところだった。
その中に愛しい赤色を見つけるのは何よりも容易なことだった。
ちくり、と確かに胸が痛んだ。
でも暫くするとこみ上げてくるのは怒りばかりだった。







「…合コン、行ったっしょ。」

冷えた口調で追求する言葉はダイレクトに丸井に突き刺さってくる。
反論しようとしても声が喉に引っかかってしまって音が出ない。
実は、こういうことは今回が初めてではなかった。
だからこそ丸井は慈郎に対して余計に何も言えないのだ。

「浮気、しないっつったのに…。」
「……、」
「丸井くんはおれのこと、好きじゃないんだ。」

ぽつり、と何気なく吐いた言葉だった。
それが引き金になったのか、慈郎の目からはほろりと涙が流れた。
そのことに気付いた慈郎は今まで堪えていたものを爆発させるかのように大声をあげて泣き始めた。
まるで子供みたいに大泣きする慈郎に、丸井も自分がどれだけ最低なことをしたのかということを改めて実感させられるのだった。

「もうやだー!おれ知らないっ!」
「慈郎…、」
「わけわかんない!やだー!」

そう叫ぶと、慈郎は突然回れ右をし走り出した。
丸井は慌てて慈郎の腕をつかむ。
今ここで逃がすわけにはいかない。

「待てよ慈郎!」
「待たないー!」
「俺にも話させろよっ!」
「やだー!」
「慈郎っ!」

暴れ続ける慈郎は無理矢理丸井の腕を振り解きまた一直線に出口へ向かって走り出した。

「逃げんのかよっ!」

丸井も一瞬怯んだが、すぐに慈郎の後を追う。
外に出ると、入り口のすぐそばに慈郎の単車が目に入った。
間違えるはずがないド派手なフォルム。
丸井の好きな赤色をベースに慈郎自らがプロデュースした彼の自慢の一台だ。

「ついてくんなー!」

相変わらず泣きながら捨て台詞を吐くと、慈郎はそのまま単車に飛び乗りエンジンを思い切りかけた。

「〜ーっ!」

あっと言う間に単車に乗り込まれて丸井も為す術がない。
慈郎が発進した瞬間、丸井は叫ぶしかなかった。

「ぜってぇ追いかけねぇー!」

その叫びは単車のエンジン音に紛れて風の中へと消えていった。
だけどちゃんと、慈郎の耳には届いていた。
すぐに慈郎の姿は見えなくなって、丸井はなんだかよくわからない虚無感に苛まれるのだった。
気付くと、自分も涙を流している。

「帰り…待ってる。」

ああ、合コンなんて。
やっぱりあいつが好きなんだ、と丸井は独り佇み想いを馳せた。

























どれだけ時間が経っただろう。

慈郎は砂まみれになってそこに仰向けに寝ころんでいた。
あれから色々考えた。
走ってる間も、泣いている間も。
無意識のうちに頭の片隅で考えていた。
そのうち、どうしても隠せない、消せないことがあることに気が付いた。
勢いでここまで来てしまったけれど、一番大事なことを忘れていたのかもしれないと慈郎は思った。


「おれ、丸井くんが好きだ。」


慈郎の澄んだ瞳には夜が明けようとしている空が映った。
ああなんて美しい空だろう、と素直に感じる。
今初めて、ここにある全てのものを美しいと感じた。
空も、砂も、海も。
世界が一気に輝きを持ったような気がした。

「…帰ろう。」

穏やかな気持ちだった。
慈郎はゆっくり起き上がり全身についた砂をはらうと、再び単車に跨った。

丸井は追いかけないと言った。
きっと彼は待っている。
慈郎は直感でそう思った。
自分が逃げたことをわかった上で許してくれている。
慈郎はようやく丸井の本当の気持ちがわかったのだ。
自分も丸井を許そうと思った。

「ジンギスカン食べ放題とハーゲンダッツで手を打とう。」

にっ、と笑みを浮かべると、慈郎はそのままエンジンをふかしアクセル全開で鼻歌交じりに来た道を真っ直ぐ走り始めるのだった。















逃げても追いかけないから

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